E185: 再開発されたらお手上げ
【連続投稿: 106日目 ライランⅡ: 17日目】
昨日書いた「詩のようなもの」は、私の中に残る断片的な記憶を、ただ、数珠つなぎにしたのである。
なぜそんな細かいことを、写真のように覚えているのか、自分でも不思議である。
今は現地に行かなくても、自宅でストリートビューがあるから、自分の記憶をたどっていける。
自分の記憶は驚くほど正確で、50年経っても変わらない「お寺」や「駅」の場所を頼りに、進めていくと
確かこの辺だったなぁ…。という地域が広がり出てくる。
古い町並みの地域になると、自分の記憶とぴったり一致することになって、ちょっと目頭が熱くなる。
ただ、昨日の喫茶店のように、あたり一帯見事に再開発されてしまうと、道路も何もかもわからなくなってしまう。
何もない日常の写真をたくさん撮ること。
何もない日常の散歩道をたくさん撮ること。
若い頃は何も感じていなかった、その必要性を最近特に感じている。
それは、ノスタルジーに浸りたいとか、そういう単純なものではない。
あの時、この場所に、何があって、
自分は誰と過ごしていて、
どんなことを考えていたのか?
それを、覚えておきたいのに
最近、人の顔が覚えられない。覚え切れない。
さっき薬を飲んだかどうか、忘れる時もある。
若い頃、記憶力には自信があった。
こんなはずではなかった。
昭和の細かい記憶が鮮やかに蘇るたび、
現在の自分とのギャップを感じる。
歳を重ねれば、重ねるほど
記憶がこぼれ落ちていけば、いくほど
すべての記憶を留めておきたい
というわがままな気持ちが自分の中で強くなる。