定食論
定食とはお盆である。
ご飯と味噌汁と主菜と副菜が、それぞれ個別バラバラに出てきても、定食にはならない。
それらがお盆の上で1つの「定食」として提出されることで、協働的・創発的な全体性が立ち現れるのである。
同様に、脳のひとつひとつの細胞や神経にはそれぞれ別々の役割があるが、それらが「脳」として集合することで、単純な個の総和ではない「意識」という謎の全体性が発生している。
同様に、「あいつがいるとなぜか場が楽しくなる」という人がいるが、それはその人自身が“場”のような存在として機能しているのである。
自身を“場”として各々の協働性を誘発しているその人は、器がでかすぎてお盆のようにその場を1つの定食にしてしまう。
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