これが最後とわかっていたなら どうなるんだ?
はじめに。
新型コロナ感染症対策については様々なご意見があるかと思います。
それらについて正しい、正しくない、というジャッジをしたいわけではありません。
ただただ感じたことを書いています。
「これが生き別れというやつやな」
82歳の父が言う。
母が退院する日。
私は退院のどさくさに紛れて、きっと最後になる母との再会を果たした。
前回母に会ったのは3年前。
まだ「新型コロナ」と言う言葉が耳に馴染んでいなかった頃だ。
母は数年前から特別養護老人ホームで暮らしている。
70歳になる前から認知症の症状が出始めて、80歳を迎えた今、もう私のことはわからない。
3年前の面会も、インフルエンザの感染対策で面会が厳しくなっていたものの「遠方からきたから」という理由で頼み込んで、面会させてもらった。
それから3年。
母が入院したという知らせを受けたのは2週間ほど前。
もちろん面会は不可。
あまりいい話ではないが、もし「看取りの時」がきたら面会は可能かと聞いてみた。
答えは「不可」
ワクチンを接種していない私は、たとえ看取りの時も面会は不可という話だった。
しかたがないとはいえ、気持ちはすっきりしない。
でも私も含め、誰が悪いわけでもない。
少し状態が良くなった母は、退院して特養に戻ることになった。その退院の移動の時に顔を見にいくことにした。
家族4人でほんの10分ほど、病院のロビーで過ごす。
そしてきっと最後になる家族写真を撮る。
写真はシャッターチャンスが難しいから、動画を撮ってあとからスクリーンショットにした。
これはあとから父にプリントアウトをして送ろうと思っている。
実は先月、正月に帰省した際、特養にいる母の顔を見に行こうかと考えた。
面会が無理なら、窓から覗き見方式で母の顔を見せてもらおうかとも考えた。
でもそれはただの自己満足のような気がして、もういいかとスルーした。
そこからの今回の入院。
今回の入院は
「顔見にこーへんかったら、そのうち私はあの世に行くで」
という母からのメッセージのような気がしている。
実際、主治医からの説明では、誤嚥性肺炎を繰り返すだろうこと、嚥下能力も低下する一方だろうから、次の選択を家族で考えるようにと言われた。
次の選択は延命をするか否かだ。
「これが生き別れというやつやな」
病棟から降りてくる母を待つ間、父が言った言葉だ。特に悔しがる様子もなく、悲しがる様子もなく、淡々と話していた。
特養に入る数年間は、父が母の介護をしていた。介護というより、家で一人にして置けない母を車の助手席に乗せ、配達の仕事を続けていた。
父は今、高齢者住宅で一人暮らしをしている。
こんな状況でなければきっと、父は母の面会に通っただろう。
認知症が進んだ今も、母は父のことだけははっきりとわかる。
今回も父の顔を見て、母の顔はほころんだ。
でもふたたび「生き別れ」だ。
こんなふうに症状が落ちついた時ではなく、病状が悪化して、いよいよという時にしか会えない。
それがいいのか悪いのかはわからない。
だけど心に穴が開くのは事実だ。
それでも今は以前よりいろんなことが緩まってきている。
感染症が広がり始めた頃は、ご遺体の姿さえ見ることができなかったと聞く。
本当は会いたかった。
本当は会わせろと叫びたかった。
本当は最後の手の温もりに触れたかった。
でも言えなかった。
そんな人はたくさんたくさんいるのだろう。
私はふとおそろしいことを考えた。
かの戦の時代と同じではなかろうかと。
退院して施設に母は戻り、私と姉とで施設の方と今後のことについて話す。
その前にアクリル板越しに、少し母と面会することができた。
私は今回、母と面会するにあたり決めてきたことがある。
二つのことを必ず伝えようと決めてきた。
もしかすると生きている母に会うのは最後かもしれない。
何度も伝えようとして言えなかった言葉を伝えようと決めてきた。
ひとつは
「産んでくれてありがとう」
月並みな言葉。
ふたつめは
「お母さんには、まあいろいろされたけど、もうチャラにするわ」
ここには書けないが、母には手痛い仕打ちをされたことがある。
いまだに「なんでそんなことされないといけなかったのか」と思う時もある。
許すとか許さないとか、もう考えるのももういいや。
もう水に流してチャラにする。
そう伝えた。
すると、母の表情が変わった。
目を伏せて何か考えている様子に見える。
そんなわけある?
だって母はもう私のことはすっかりわからなくなっているというのに。
以前何かの本で読んだことがある。
ある「認知症は存在しない」と主張する医師の話。
「忘れたふりをしてもダメですよ。本当は全部わかっていますよね」
と患者の耳元で囁くと、必ず忘れたい過去を思い出して泣くのだと。
それはあまりに極端な話だが、そんなことをふと思い出した。
「おかーさんにされたこと、もうチャラにするよ」
この言葉は、母の心に届いたのだろうか。
正直、届いた届かなかったはもうどうでもいい。
私はただ言いたかった、宣言したかっただけ。
私はわかっているのだ。
きっと生きている母に会うのはこれが最後だ。
最後だとわかっていたから、
もう会えないから
私は絶対伝えようと決めることができたのだ。