我が家には 私がくつろげる場所はなかった
昨日、インテリアコーディネーターの方と、ゆっくりお話する時間があった。その会話の中で気づいたこと。
「我が家には 私がくつろげる場所はなかった」
「インテリア」という言葉を聞いて、あなたはどんなことを考えるだろうか。私は「私には縁がない」「そんところにお金を使うなんて贅沢だ」「私にはそんなセンスはない」あたりだろうか。
とは言え、こだわりがないわけではない。嫌いなものは置かないけれど、大好きなものもない。そして何かを「飾る」ということも極力しない。掃除が苦手な私は「飾る=埃が溜まる=掃除無理」という連想ゲームをしてしまうのだ。
そして我が家にはソファとコタツがない。理由は「ソファとコタツがあると動けなくなるから」一応、無印良品の体にフィットするソファ(通称:人間をダメにするソファ)はあるが、使う都度都度リビング横の小部屋から引っ張り出してくるスタイルだ。
2人の子たちには個室がある。夫にもリビング横の小さな和室が一応秘密基地だ。(秘密があるわけではないだろうが)
寝室には私の配信用のスペースを取っているが、デスクのみのスペースだ。
私にはプライベートスペースがない、ということに引っ越して10年目の今、気がついた。そうなのだ。私には「家でくつろぐ」という前提がなかったのだ。
もちろん全く休息を取ってないわけではない。夕食が終わればダメソファを引っ張り出して、スマホをダラダラみたりもする。だけど
本を読んだり
漫画を読んだり
アニメを見たり
塗り絵をしたり
いつでも自由にできるスペースがないのだ。
そのことに気づいて驚いた。
私はカフェで過ごす時間が好きだ。カフェで過ごすように、家で本を読んだり手帳を書いたりぼーっとしたりがしづらい環境だからだったのかと、今更ながら気づく。
私はくつろぐ、休む、がとても苦手だ。たとえダメソファでダメになっていても常に「あれやらなきゃ」「これがまだった」「こんなだらだらしてていいのか」と考えてしまうのだ。
なかなか恐ろしいことに気づいてしまった。さすがに家族がみんな出かけたリビングダイニングでは気ままに過ごしている。だが家族がいる中ではどうやら私はくつろげない仕様にしてしまったらしい。
実際このnoteも、近くのコメダコーヒーで書いている。
さあ、そろそろ帰ろうか。帰りに今日の晩御飯の食材を仕入れる予定だけど、その前に近くのインテリアショップにでも寄り道しようか。
ソファを買おうとは思わない。だけど座椅子くらいは買ってもいいかも。
そして家族のいるリビングで座椅子で本を読みながらうとうとするのもいいかもしれない、なんて考えてみる。