私が酔っ払いを心底嫌う理由
私が酔っ払いを心底嫌う理由。
それは自己否定の記憶と結びついているからだと気がついた。
ちなみに私は下戸である。
お酒は嫌いではない。むしろ好き。
この時期になると登場する、キリン「秋味」が大好きだ。
日本酒も甘口のフルーティーなものが好き。白ワインも美味しく感じる。
だけど正常を保てるのはコップ2cm程度だ。
だけど飲んでしまえば真っ赤になり、しばらくすると真っ青になる。
「歩行者信号か!」と自分に突っ込みたい。
当然ながら酔っ払うことはできない。
酔っ払うまで飲むことができないのだ。
だけどお酒の場は嫌いではない。
(ここ数年はそんな場面もそうそうないが)
お酒の場は嫌いではないが、酔っ払いは心底嫌いだ。
まあ、大好きという人もいないだろうが。
一番身近な酔っ払いといえば夫であろう。
しかし酔っ払いというほどでもない。彼もそれほどアルコールが強いわけではないので、晩酌の秋味1本でご機嫌さんになり、リビングでしばしお眠りになる。
「気楽でいいよな」
正直思う。その間私は食事の後片付けをし、洗濯をたたみ、明日のお弁当の準備をしている。アルコールに弱いせいもあるが、これらの家事のことを思うとお酒を飲んで酔う気にならない、というのもある。
若かりし頃はそれなりにみんなで飲みにも行った。
やはりそいう場では「酒があるから言えるんだよ」と、ちょっぴり大胆発言をする人もいる。
私そんな時、いつも思った。
「へー、いつも言わへんだけでそんなこと思ってるんや」と。お酒の力でいつもより強気になったり泣きながら訴えたり、挙句のはてに「酔ってるから忘れっちゃった」「酔ってたから許して」とか、下戸の私に言わせれば「ふざけんな」である。
今日そんな話をしていたところ
「なんでそんなふうに思うんですかね」と聞かれた。なんでだろ?と思った時に、芋づる式にいろんな記憶が蘇ってきた。
私の父は酒飲みだ。
酔って暴力を振るうとかはないけれど、毎日晩酌をして常に酔っていた。
当たり前だが酔うと話がくどくなり、しつこい。説教モードに入れば無限ループが発現する。
そして小さな頃から大きくなっても共通の記憶。
「好きなことを否定される」だ。
小学生の頃、バービー人形だったかな?そのファンクラブ的なものに申し込んだ。するとちゃっちい会員証が送られてきた、と思う。私は嬉しくて父親に自慢をする。
「こんなんきてん!」(こんなのが送ってきたよ)
「こんなしょーもない!」とその会員証を投げつけられた。
当時、「私の個室」という中高生向けのインテリア雑誌があった。
「こんな本買ってん」(こんな本を買ったよ)
「なんや!こんないやらしい本!」
(まあ、今から思えば「私の個室」というタイトルで、いかがわしいものを連想されてもいたしかたなしかもしれないが)
大学に入学した時。
「演劇サークル入ってん」(演劇サークルに入ったよ)
「お前は何を考えてるんや!」
(父親の年代は「大学」「演劇」というと政治的な色が強いもの、というイメージがあるようだ。その心配をしていたようだが)この時は「もうお父さんとは話したくない!」と言えるくらいには私も成長していた。
こんな小さな衝突の後、何回かはあとから「すまん」と謝られた気もするが、私の傷はたいして癒えない。自分が大好きなこと、やってみたいことを真っ向から全否定される。しかも子ども時代だ。まあまあ傷ついた。
私の中で酔っ払いとは
・人の話をちゃんと聞けない
・誤解だらけ
・一方的に話す
・説教長い
・人を傷つける人
そんなイメージが作られた。
そこからの私の「酔っ払い嫌い」が始まったようだ。
そして今は自分も酔えない。
そんな話を一通りした後、予想通りこんなことを言われた。
「一度、酔っ払ってみたらどうですか?」
だよねー。
自分の「酔っ払い嫌い」がこんな自己否定の記憶と結びついているとは、なかなかの驚きだ。自分が酔っ払うことはかなりのタブーだ。酔っ払うこともさることながら、そのあと片付けをやらなかったりすることも、タブーなのだ。
「酔っ払っても大丈夫。酔っ払ってちゃんとできなくても大丈夫、を経験するのもいいかもしれないですね」
そうかもしれない。
素面で、こんなに長々と書くくらいなら、とりあえず酔ってみようかと思う秋の始まり。とりあえず帰りに寄り道して、おいしいお酒を探しに行こうか。
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