焼き栗の美味しさよ
石岡市というところから、夫と同じ職場に通勤しているオジ様に焼き栗をいただいた。
焼き栗を見て思い出すのは、まだ自分が小さかった頃、どこの家でも庭で焚火をしていて、寒くなった時期なんかは庭掃除以外にも家の中から出たごみを燃やして、退屈な日曜日に焚火をつついていた光景。
寒いのが嫌いで、私は火のそばでごみを放り込んでいるだけなのにお腹が空いてくるので、何か食べたいということになる。
親たちにとってはせっかくの休日のめんどくさい雑事なのかもしれないけど、子どもにとってはただの遊びなので、家の中からミカンや煎餅を持ってきて焼いて食べる。
両親は働いていて歳の離れた兄もいつも家にいない私は、お腹が空いたら自分で何か作って食べるというのが日常で、ド田舎なので近所をフラフラして、遊びがてら栗を拾ってきて茹でて食べることがよくあったのだけど、それは灰紫色がかっていて特に美味しくも無かった。
小学生の時、道徳なのか国語の授業かテストかで小説の一部の中に
「焼き栗」というのが出てきて、
「栗って焼いてもいいんだー!」と
新しいアイデアを得た私は、ある日、初めて栗を焚火で焼いてみた。
家にいるのも飽きてきて「焼き栗」のことを思い出し、近所で栗を拾ってきて火の中に放り込んだ。
大人になってから野生の栗と農家でちゃんと育てられた栗は全然味が違うということを知ったけど、そんな事をまだ知らない私は頭の中で天津甘栗を妄想し、
「焼いたら祭りの日に屋台で売ってるアレみたいになるのかも・・・!」と、かなり期待をして焼けるのを待って食べてみたけど何も美味しくなかった。
それ以来、栗に対して「そのまま食べたら甘い物じゃない」という偏見があり、子どもができてから「ちゃんとした栗拾い」というものをして初めて「中身が黄色い大きな栗」と出合ったのだけど、それでも「まあまあ甘い栗もあるけどね…」くらいな味で、結局毎年仕方なく、砂糖いっぱい入れて渋皮煮にして食べていた。
それがここ数年、栗の生産量が多い土地柄で栗のアピールに力を入れ出したのか、栗の「氷温熟成」というのをよく見かけるようになって、気にはなっていた。
でも高価なわりにやっぱり期待値が低いのと剥くのがめんどくさいのとで、買うことがなかった。
結局、加糖する羽目になる、というのがチラついてしまい…。
けどまあ、せっかくもらった焼き栗。
ぱっくり割れていて、食べやすそうなのもいい。
いざ、口に入れると、おお!「甘~い!」
( ;∀;)感動~
甘くて甘くて夢中になって、あっという間に食べ終わってしまいました。
剥くのも簡単だし、新たな味覚を見つけてしまった感。
これからは見かけるとつい買ってしまいそうな、ヤバいものに出会ってしまったかも~。
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