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南無大師遍照金剛

空海に祈るときは「大師宝号(ご宝号)」とよばれる「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」をとなえる。
空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路の衣裳や杖にも「南無大師遍照金剛」と書かれている。
「南無」は原語ナマスの表音で、帰依すること。祈りの心をあらわす。
「大師」は弘法大師の略。没後の延喜21年(921)に醍醐天皇から贈られた諡号(おくりな)である。
最澄を伝教大師とよぶのも同じく没後の諡号である。
「遍照」はマハーヴァイローチャナ(あまねく照らすもの)すなわち摩訶毘盧遮那の意訳。大遍照とも大日遍照ともよばれる密教の主尊=大日如来の別名である。
「金剛」は密教に入門して受ける名につける称号で、「遍照金剛」は密教僧としての空海の名(金剛名)である。
延暦二十三年(804)、空海は唐の都の長安におもむき、青龍寺の恵果(けいか)を師として灌頂を受けた。
灌頂とは古代インドで王者の頭頂に水を灌(そそ)いで即位式をおこなった風習をうけつぐ儀式で、密教に入門するときなどにおこなわれる。そのとき目隠しをして、多くの仏が描かれた曼荼羅の上に花を投げ、落ちたところに描かれている仏が自分の守護尊とされる。投花得仏(とうけとくぶつ)である。
空海は両部曼荼羅のうち、最初に胎蔵曼荼羅に花を投げると、中央の大日如来の上に落ちた。次に金剛界曼荼羅の上に花を投げると、また、大日如来の上に落ちた。師の恵果はたいへん驚き、空海に「遍照金剛」という名を授けたという。
これは唐から帰国して朝廷に奏上した「請来目録」に空海自身が記していることである。

ところで、大日如来は万物が生起する宇宙に遍在する光のエネルギーのようなもので、その本体には姿も形もない。
仮に仏像や曼荼羅の図画であらわされているのだが、具体的な姿のある釈迦如来や阿弥陀如来とちがって、たいへんわかりにくい。
そもそも密教とは何なのか。
今回は弘法大師空海の名前の由来にとどめ、大日如来と曼荼羅、そして密教については槁を改めて述べたい。

なお、今年は生誕1250年を記念して奈良国立博物館で「空海展」が催されたのをはじめ、6月15日と伝わる生誕日を中心に高野山、善通寺など各地の寺院で慶讃の行事がおこなわれている。

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