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「当たり前は、決して当たり前じゃない」という言葉が今更胸の奥に刺さった話。

心臓の手術をした母が、無事退院し自宅に帰ってきた。
(手術後の様子はこちらの記事にて)

主治医の先生と「諸々の数値的に安心できるようになったら」「開胸などの傷跡が、ある程度回復したら」そして「階段の昇り降りがスムーズにできるようになったら」退院しても良いのでは、と話をしていた。

入院から2週間ほど経った頃、医師から病院に呼ばれ「そろそろ退院かと思います」と言われた。
医師は「来週半ばあたり」と言ったのだけど、母は「家でゆっくり寝たいから、もう退院したい」と言った。
「階段も昇り降りできてるし、もう大丈夫」とも言った。

それならばと、翌日の退院を決めた。
のだけど。

いざ帰ってきたら、階段は一人で昇り降りできないし、なんならベッドから起き上がるのも一人ではできない状態だった。

まじかよ、である。

その原因は、手術とは関係ない「腕の痛み」。
本人曰く「病院のリハビリの時に、必死で腕を使って体を起こしたせいで、腕を痛めた」らしい。

この腕が激痛らしく、動かすのはもちろん無理だし、なぜか歩くのもままならない。
ベッドから起き上がるのも寝かせるのも介助しなきゃいけないし、階段も手すりを持てないから誰かが支えなきゃいけないし、ソファや椅子に座ったら一人では立ち上がれないので手伝わなきゃいけない。

お風呂に入る時も、父か私が付き添って、服から下着まで脱がさなきゃいけないし、体は拭かなきゃいけないし、着せなきゃいけない。

夜中に「トイレに行きたい」と言われたら、体を起こさなきゃいけないし、付き添わなきゃいけない。

おいおいまじかよ、である。

しかも、その痛みのせいで、母は1日中「痛い…」とつぶやいてはため息をつく。それをずっと目の前で見ていたら、こちらも気が滅入る。

こりゃしんどい。


その時私は、この世で「家族の介護」に携わっている人全てを、心から尊敬した。

すごいよみんな。
偉いよみんな。
こんなに大変なことをやりつつ、自分の日常生活を営んでいるなんて…

すごすぎるよ!!


…と、そんな日々から、あっという間に3ヶ月が経った。
(本当は退院後のタイミングで投稿しようと思っていたのだけど、どうにも締められず…3ヶ月放置と相成りました)

おかげさまで随分回復し、ほぼ日常生活が送れるようになった。

母、84歳。
すごい回復力である。


それでも、あの日々を過ごしたことで「当たり前は、決して当たり前じゃない」という、人生で100万回は聞いたであろう言葉が腑に落ちた。

「家族が健康でいること」も、もちろんそうなのだけど、それと同時に自分自身の健康についても考える機会になった。

たとえば、お風呂に一人で入って身体を洗えることとか、着替えることとか、階段の上り下りとか、それこそ「ただ歩く」ことだって、普段何も考えず、当たり前にできることだと思ってるけど、

めちゃくちゃ!ありがたいことなのだなあと。


母の体も落ち着き、以前の「当たり前の暮らし」に戻りつつある今、
「喉元過ぎればなんとやら」で、忘れそうだけれども。
自分の健康な体に、家族の健康な体に、本当に感謝しなきゃなと思う。

一人で、思ったように歩けるって、すんごくありがたいことなんだよ。
どこにでも行けるって、すんごいことなんだよ。

忘れないようにしなきゃなあ。


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