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幼い頃、父が作ってくれた野菜炒めには大根が入っていた。

うちの父は、家事に協力的だ。
昭和20年代生まれの、いわゆる「団塊の世代」では珍しい方だと思う。

ゴミ出しもするし、掃除機もかけるし、トイレ掃除もお風呂掃除もするし、夕食後の洗い物はほぼ毎日やってくれる。

特に夕食後の洗い物は、わたし的に「やりたくない家事No.1」なので、大変非常にありがたい。

さらには、毎朝果物を切ってくれる。

この季節は主にりんご。
今朝は初物の柿もいた。秋だなあ。


そんな家庭的な父だけど、料理はしない。

果物を剥いたり切ったりするから、包丁を持ってる姿を見たことはあるのだけど、何かを調理している姿を見たのは、私の人生でたったの2回だけだ。


1回目は確か、私が幼稚園の頃だったと思う。
母が熱を出して寝込んでしまい、「今日はお父さんが晩ごはんを作ってやるからな」と父が台所に立った。

幼い私は、まだ台所の戦力になれなくて、ただ父が作ってくれるのを待っていた。

その日、父が作ってくれたのは「野菜炒め」だった。

冷蔵庫の野菜を切って炒めて、味付けは塩胡椒。
非常にシンプルな野菜炒めだった。

父は出来上がった野菜炒めを「これはうまいぞー」と皿に盛ってくれた。

そこには、キャベツと、大きめの角切りのにんじんと、同じく大きめの角切りの大根が入っていた。

「大根って野菜炒めに入れるっけ…」と思ったのだけど、幼いながら、父が一生懸命作ってくれたことは分かったから言えなかった。

まだ火が通っていないのか、固くてごりごりの大きな大根(しかもそんなに味がしない)を噛み締める私に「どうだ、うまいか」と笑顔で聞く父に「うん。おいしい」と答えた。


それから数年後、また父は野菜炒めを作ってくれた。
多分また母が寝込んだ時だったと思う。

その時は大根は入っていなかったのだけど、やっぱり具材は全体的に大きかったし、歯応えがすごかった。

「ああ、お父さんの野菜炒めだな」と思いながら、またごりごりと噛み締めた。


それ以来、父の野菜炒めにはお目にかかっていない。
というか父の手料理を食べていない。

多分、私が台所の戦力になって、母がいなくても私が料理をするようになったからだと思う。


今日、夕食の支度で大根を切っていたら、急にそのことを思い出したので、父に「そういえばさ」と聞いてみた。

「野菜炒めに大根ってさ。幼いながらに『大根…』って思ったよね。なんで大根入れようと思ったの」と。

すると父は、野菜炒めを作ったことも、もちろんそこに大根を入れたことも、何も覚えていなかった。

そして「わし、そんなひどいもん作ったのかあ。一応若い頃は一人暮らしもしてたんだけどなあ。すまんかったなあ」と笑っていた。


決して美味しくはない野菜炒め。
でも、あれが私にとっての「父の味」。
多分一生忘れないと思う。

久し振りに作ってもらおうかな。
一体どんな具材が登場するのか、ちょっと興味深い。
その時は、冷蔵庫に大根を入れておかなきゃだな。

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オカダトモコ 旅が好きなライター / カメラマン
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