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「こんな時だからこそ」って言うけど、多分ずっとしばらく先まで「こんな時」が日常になるんだと思う。

 愛知県から、ここ茅ヶ崎に完全に越して来たのは、今年の1月。
 つまり、ここに住み始めてからずっと「コロナ」である。

 越して来るとき、「茅ヶ崎に来たら、あそこへ行こう。あのお店にも行きたいな。あれもしたい。あの人にも会いに行こう。」そんな風に思い描いていたものが、ほとんど叶わないまま、まもなく4ヶ月が経とうとしている。

『こんなはずじゃなかったのに』
 毎日とは言わないけれど、数日に一度そんな思いが胸をよぎる。

 コロナで世の中が騒ぎ始めた最初のうちは「あと少し、あと少ししたら元に戻る…」そう思っていた。
 だから「少し先に訪れるであろう、ちょっと変化した日常」を見据え、「こんな時だからできることを」「こんな時だからこそ」と思って、家の中にいることを楽しんだり、ビジネス本を買ってみたり、オンラインなんちゃらを大量にダウンロードして学んでみたりした。

 けど。

 多分これはあと少しじゃなくて、もうずっとずっと先まで続くんじゃないか…、そう思い始めてる。
 多分、私だけじゃなくて世の中のみんながそれに気付き始めている。

 そしたらさ。「こんな時だからできることを」「こんな時だからこそ」ってのに、疲れて来ちゃったんだよね。

 だって「こんな時だからこそ」の「こんな時」ってのは、元に戻る日常が先に見えている上で、「ちょっと今は日常じゃないからね」という意味での「こんな時」。
 だけど、いつまで経っても元に戻る気配はなく、どうなるかも見えない未来に対して、「こんな時こそ」って…もう無理なんだよね。

 だから「こんな時」は、これからもずっと続く『日常』なんだと、そう思うようにしている。「家から出られないのが『日常』だ」と。
 そうとらえて、過ごすしかないんだろうなと思い始めている。

 前みたいに、人と会って語らって、グラスをあわせて乾杯して、一緒に美味しいご飯を食べて笑って、電車に乗ってお出かけして、時には飛行機に乗って異国を旅する…というのは、もう過去の話。

 もう二度と戻って来ないとは言わないけれど、「もうずっと先までできないもの」「できない今が、今の我々の『日常』」と思って過ごした方が、精神衛生上良いのかもしれないと思うんだ。

「昔はよかった」じゃないけどさ。「昔は飛行機でどこでも行けたんじゃよ」「え〜おばあちゃんすご〜い!」みたいなさ。
 ないとは思うけど、そんなことになるかもしれないじゃん。もうそれぐらい思っといたらいいんじゃないだろうか。
 そしたらいつか、元の日常が訪れた時に「いや〜もうこういうの無理だと思ったよ〜」って泣き笑いできる。

 考えるとさ、悲しくなって来ちゃうよね。
 誰かと笑ってご飯を食べた日が、恋しくて恋しくて泣きたくなっちゃうよね。

 いつか、どれだけ先の未来か分からないけれど、友達と温泉旅行にでも行って、美味しい刺身でもつつきながら「2020年!コロナ!あったね〜!あの時わたし、茅ヶ崎にいたんだよ〜。覚えてる〜?誰も遊びに来なくてさ〜!ほんっと!つらかったわ〜あはははは!」そう笑いたい。 

 それまでは、今のこの『日常』を生きよう。生き抜こう。つらいけど。

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オカダトモコ 旅が好きなライター / カメラマン
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