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近くの身内より遠くの他人。ということもある。

「遠くの親戚より近くの他人」ということわざがある。
でも「近くの身内より遠くの他人」ということもあるんだよ。

40歳の時、人生二度目のインフルエンザにかかった。
時期はちょうど今頃。

ちなみに、一度目は中学2年生の時。
なので、大人になってからはじめてのインフルエンザだった。

会社からの帰宅途中に「あれ?なんか関節痛い?」と異変を感じはじめ、わずか20分後、自宅の最寄り駅に着いた時には、全身が重だるく、歩くのもやっとの状態になっていた。

脳裏には、今朝からインフルで休んでいる同僚の顔が浮かんだ。

昨日まで一緒に働いていたし、言葉も交わしたわ。
あいつか。。


自宅に着き「多分インフルだと思うから、このまま寝るわ」と両親に伝え、部屋にこもった。

熱を測ると38度超え。
ああ、こりゃほぼ確定だな。
明日朝イチで病院に行こう。

一応、上司にその旨を連絡して詫びて、その日は寝ることにした。

夜中に何度も汗だくになって目が覚めた。
熱は39度になっていた。
うんうん言いながら寝る自分に「人間、熱が出ると本当に『うーん』って唸るんだな」なんて思った。


翌朝、這うように部屋から出て、リビングに行くと母がテレビを見ていた。
私の顔を見ると、嫌そうな顔をして口元を手で覆った。

「病院行きたいんだけど」と言うと「お母さん今日、首が痛いから無理」と言われた。
その顔には「とにかく早くこの部屋から出て」と書いてあった。

仕方ないので、一番近い病院を探して、自分で運転して行った。
病院では「インフルエンザの疑いがある人はこちら」と、暗くて寒い廊下に通された。

震えながら20分ほど待っただろうか。
やっと検査してもらい、結果は陽性。

やはり。
まじか。

会社と両親に「陽性でした」と連絡して、処方された「リレンザ」を受け取り帰宅した。

相変わらずリビングでテレビを見ていた母に「ただいま」と声をかけると、口元を抑えて睨まれた。

「大丈夫?」のひとこともなかった。

そのまま部屋に戻り、ベッドに潜り込んだ。
薬が効けば楽になると聞いていたので、それまでの辛抱だ。


それから1時間ほどした頃だろうか。
元同僚から連絡が来た。

「インフル大丈夫?いま、家の前に差し入れ置いといたから。よかったら食べてね。お大事にね!」

すごくびっくりした。

数年前に社内結婚をして退職した彼女とは、時々ご飯を食べに行ったりして仲良くしていた。
どうやら、旦那さんから「オカダさん、インフルになったよ」と聞いて、駆けつけてくれたらしい。

玄関を開けると、ビニール袋にたくさんの食料が入っていた。
ポカリスエットにゼリー、りんごやみかんなどの果物。

「リンゴだけは剥かなきゃいけなくて面倒だけど!とにかく水分とってね!」そうメッセージが来た。

彼女の家から私の家までは、片道1時間近くかかる。
わざわざ来てくれたのか。

一緒に住んでいる母親は「大丈夫?」の一言もないし、部屋に様子を見に来ることもなかった。

なのに、家族でもない赤の他人の彼女が。

ありがたくて涙が出た。
ポカリスエットも、ゼリーも、弱った体の隅々に染み渡った。


夕方になり、帰宅した父が「大丈夫か」と部屋を覗きに来た。

「悪いんだけど、皮を剥いて欲しいんだけど」とリンゴを渡した。
「よっしゃわかった」そう言って、剥いて届けてくれた。

蜜がたくさん入った、美味しいリンゴだった。
本当に本当に、美味しかった。


あれ以来、友達が病気になったりすると、食料を持って駆けつけるようになった。

もしかしたら「要らないなあ」かもしれないけど、もしかしたら少しでも助かるかもしれないから。

あの時受けた恩を、私も誰かに返したい。
ずっとそう思ってる。

あのゼリーの美味しさと、母の冷たい目はきっと一生忘れない。
母は多分、私がインフルエンザになったことすら覚えていないと思うけど。


ということで、私の身近なみなさんへ。
何かあって私が駆けつけようとした時、もし本当に来て欲しくなければ「本当に来ないで」と言ってください。

じゃないと、遠慮かと思って行っちゃうからね。

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オカダトモコ 旅が好きなライター / カメラマン
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