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青森移住ぼちぼち珍道中〜兵庫県から青森県へ#49 退職、そして子供達だけで帰省の巻
クリーニング工場のパートしていた私。
工場の中は蒸気などで高温多湿。
冬は暖房なしで半袖でいいくらいに温度が上がる、外が吹雪でも。
冬でさえ半袖なので、夏は蒸し風呂状態である。
恐らく40℃くらいはあるのではないのだろうか、
そしてさらに休みなく動くので、体感的にもっと暑い。
朝に可愛く?(笑)お化粧をしても退勤時はほぼノーメイク。
そんな過酷な労働状況で、夜は簿記の講習、ヨシオさんの手伝いとなると、そりゃダウンするはずだ。
ましてはちびっこギャング1号2号の相手もして。
この時、小学3年生と1年生、うるさい盛りである。
熱中症と過労で、3日間休ませてもらって考えた挙句、6年間勤めたパートを辞めることにした。
仕事自体はとても楽しくて好きだったけど、体力の限界。。。
2年前にも熱中症でダウンしたから、もう潮時だったのかもしれない。
1号が何度も何度も入院し、その度にお休みをいただいてとても良くしてしていただいた会社でしたが、身体が限界であれば仕方がない。残念。
ちょうど、この年から
子供達だけで夏休みに実家の兵庫県に帰省させた。
大体、1ヶ月近く。
空港のゲートを通ればキッズサポートという便利なサービスがあり、
空港内、そして到着後のずっとJALの方がついてくださる。
到着すれば、おじいちゃん達が身分証明証を提示して孫達と合流するシステム。
ヨシオさんの実家と私の実家は車で30分くらいだったので、
まず、ヨシオさんのご両親に空港まで迎えに来てもらう。
前半ヨシオさんの実家、後半は私の実家。
両家のジジバで孫達の受け渡し?(笑)してもらっていた。
帰りはうちの実家の両親が空港まで送ってくれた。
子供達は存分にジジババに甘え、
存分に遊び真っ黒になって帰ってきた(^ ^)
夏休み、ほとんど子供達がいなかったため、
ダウンした私も負担がへり、体調も回復、元気になった頃に家族4人の生活がスタート。
実家から、離れているから寂しいところもあるけれど、
帰省の度に飛行機に乗る。
寝台車列車で帰省したこともあったし、
1200キロを車で帰る事もあった。
移住して得られるものも沢山あった。
青森に移り住み7年目、
とうとう岡田猫きっく家は安定した収入を失った。
まだまだつづくよ、珍道中〜
お楽しみに!