青森移住ぼちぼち珍道中〜兵庫県から青森県へ #109東京出発2日前のあの日
服の荷造りもほぼ完了、最低限の物は買った、大型物は東京で買って配達してもらう事に。
あれは3月の20日、
ずっと青森県はコロナ感染症が0人だったけれど、ついに八戸市で感染者が出た。
あの日から目まぐるしく、どうなるどうする。
いつかは感染者が出ただろうから仕方がない。
感染者の方はある事ないこと書かれ始め、噂をされ、叩かれた。
真実は誰もわからない。
ここでヨシオさんと私が引越しのために東京に行くのはどうなのだろう、、、
感染してしまったら会社のみんなにも迷惑をかけてしまう、誹謗中傷を受けて倒産するかもしれない。
小児喘息があった長男、感染すると命も、、、
自分で掴み取った夢の第一歩、東京でのメッセンジャー。母としては行かせてやりたい。
家族会議で、ヨシオさんと私は行かずに長男だけで行く事にした。
でも刻一刻と状況が変わり東京の感染者も増える一方。
医療関係の方にも相談した。
「喘息があるのであれば、行かせるべきではない。縛り付けでも止めた方が良い」とアドバイス。
もし、もし、感染してICUに入って会えなくてそのまま、、のこともあり得る。
長男に今の状況を説明し、
母「行くことがどれだけ危険か、落ち着いてから行ってもいいじゃないか。もし1年遅れても一生のうちの1年。いつでも取り返せる。感染すれば命も危ない。」
長男「感染するわけがない、若い人はコロナになってない。死んだって良いから行きたいんだ!」
これはダメだ、判断力が鈍っている。
ヨシオさん「コロナでお父さん達の会社もどうなるかわからない。だからお前には側にいてほしい」と、父として長男と向き合い話した。
長男は静かに自分の部屋に入っていった。