ミドルネームの思い出
30年ほど前のある日、職場の山田くんが突然、「論文を書いたときにミドルネームがあった方が格好がいいですよねぇ。ほら、H, T, Yamadaとか」と馬鹿なことを言い出した。
山田くんは、宮澤りえが写真集『Santa Fe』を出したときに「ギャラはいくらだったのかなぁ。2億円くらいかなぁ。2億円貰ったら俺だったら □※?#■だって見せちゃうな」と言って顰蹙をかった逸話を持つ。私はそっと聞き流した。
その頃、フランスから日本に研修で来ていたシュミットさんご夫婦に女のお子さんが生まれた。
彼らは「日本にちなんで」と言って娘さんに『アン・愛子・シュミット』という名前をつけた。近所の習字の先生に「愛子」と書いてもらって、彼らはとてもうれしそうだった。
彼らが帰国するときに「コタツはいらないよね、売ってよ」と頼んだら「これは持って帰って使うから駄目」と断られた。コタツも気に入ってくれたようだ。
それから何年か経ち、ドロシーは台湾の女の子、ワン・シャン・タイちゃんと友達になった。彼女の米国でのニックネームはビビアン。彼女が自分で付けたという。
ビビアンと山田くんは発想が似ていたのかもしれない。あれから30年以上が経ち、「馬鹿な考え」と思った私の方が浅はかだったのかもしれない。まぁ、いずれにせよ、山田くん本質は今もあの日のままなのだろうなと思う。
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