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好奇心のレベル

好奇心にはいくつかの段階がある。一番普通のものは、テレビを見ていたりSNSを眺めていたりして「それ、なんだ?」と思うレベル。これを好奇心の第1レベルと呼ぼう。

誰かと話していて「それ面白そう」と思ったり、授業とかで「へ~」って思うのもこの第一段階だと思う。ちょっとした気づき、知らなかったことへの興味、そういうものから生まれる好奇心の第一段階は生活に色どりを与えてくれることも多い。趣味と呼ばれるものも、最初のきっかけはほんのちょっとした好奇心から少しずつ育っていくことが多い気がする。

好奇心の第2レベルは、興味を持ったことを実際にやってみたり、誰かに話してみたり、図書館とかで関係する本がありそうかどうかを眺めてみたりすることから始まる。つまり、第1レベルが受動的な心の動きだとすれば、第2レベルはなんらかの行為につながる能動的な部分が含まれている。

Webで検索したり、ChatGPTに尋ねたりするのは、レベル1とレベル2の中間だといえる。1回検索して満足してしまえば、行為は伴ってはいたけれどレベル2未満で、大概の検索はレベル1以上レベル2未満で収束してしまう。

だから「ああ、レベル2だな」と私たちが気づくには、なんらかの行為の連鎖が必要となる。それは好奇心のエネルギーのようなものが持続していることを意味している。

何かが好きというのは、このレベル2の好奇心のことも多い。アニメが好き、本が好き、美術館に行くのが好き、料理を作るのが好きというのも、このレベル2の好奇心の範疇に入るのではないかと思う。他の人から「へ~、〇〇が好きなんだぁ~」と言われたりするのもこのときだと思う。

レベル1と同様、ここにもレベル2以上レベル3未満の領域があると思う。

では、レベル3はどんな状態か。人によって違うかもしれないけれど、私の場合は、そのことに関して少し抽象的なことを考え始めたり、そのことに関する複数の事柄が自分の中でつながり始めたりする瞬間の、あのちょっとワクワクするような感じが生まれると、「レベル3だな」と思う。

それは別に、関係する本を何冊か読んだという段階とはちょっと違って、量が質を変え始めた瞬間ということもできるかもしれない。

レベル3の好奇心は、別に研究者的なことをするということではなくて、自分の中で、そのことが特別な意味を持ち始めたということになるのかもしれない。

もちろん、そこにはレベル2以上レベル3未満はあって、何か感じたとしても、さらに次の1歩2歩に進んでいくかどうかで、そのことが本当にレベル3に達してきたかどうかは変わる。

問題は、この様相が研究開発やイノベーションのステージゲートの図に似ているということだ。

https://marketing.techport.co.jp/archives/10836/

多くの人はこの図を誤って使っている。ステージゲート、あるいはスクリーニングという言葉が示すように、少しずつフィルターをかけ、良いものを残していくプロセスだと理解しているのだ。

それはそれで《誤解》というには語弊があるが、それでも一番大切なことが忘れられている。この図で一番大切なことは左から右に流れていくプロセスではなく、一番左の原石の部分をどれだけたくさん生み出すことができるのかといういうことなのだ。一番左が貧弱であればプロセスを右に進めても本当に大切な何かが見つかる可能性は少ない。あるいは、プロセスを進めることだけに注力すれば、最初から右までいけそうなテーマをついつい選んでしまう。それはちっとも豊かではないのだ。

好奇心では、研究開発やイノベーションほどはシビアではない。けれど、日々の生活が忙しかったり、何かに忙殺されていれば、一番左の部分はどんどんと瘦せ細っていく。このプロセス図の問題点は、痩せ細っていく一番左を豊かにすることに心が至らなくなってしまうことにある。

好奇心についても同様なのだ。レベル1の好奇心が痩せ細っていけば、どんなにレベル2、レベル3的な行為を進めても、それはどこか無理をしていることになる。「趣味がないから趣味を探しているんです」というような不思議な状況が生まれるのはそういう気分に支配されていて気づかないときだろうし、なんだか妙に焦ったようにフォーカスしていくことにだけ心があるような不思議な現象も起きる。

でも、それが悪いともいえないか。歳をとってくれば生活はルーチン化するし、左を豊かにと言われても、そもそもそんな気にするならなくなっていったりもする。同様に、焦ったようにプロセスを右から左に進めていこうとする人がいたとしても、その人はその人なりに頑張っているのかもしれない。

それに、好奇心のレベルというようなことを言えば、あたかも好奇心があることを良しとする前提も見え隠れする。好奇心がなくていけない理由は、よくよく考えるとない。ましてや好奇心が枯れていくことを悪とする理由もない。

若い頃から好奇心のレベルについてはいろいろと思うところがあったが、最近、少し考え方が変わってきたかもしれない。

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