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旧約聖書

年末に『旧約聖書』を読了した。

『アンナ・カレーニナ』や『平家物語』のような小説・物語ではないため、私には読むのが楽だったとはいえない。

ちょっと頑張ったといえる。年内に読み終えられてよかった。

どこを読んでいるか、どこまで読んだのか、あとどれくらいなのか、『独学大全』の手法《ラーニングログ》に助けられた。

そしてまた、猫町倶楽部の読書会への参加としてでなければ『旧約聖書』は読みきれなかったと思う。独学大全の手法の一つである《ゲートキーパー》として読書会が機能してくれた。それはとても大切な機能だと改めて思った。猫町倶楽部の早朝読書会にもとても助けられた。

『旧約聖書』は、イザヤ書以降、物語性が弱くなるにつれて、私には読みにくくなっていった。それでも、読書会の当日、他の人と話していると、その言葉から、「なるほど、そうか、気がつかなかった」という発見も多々あった。同じく独学大全で述べられている手法《会読》の効果をこれほど感じたことはない。

あくまでも読書の一環で『旧約聖書』を読んだ私に、一体どれだけのものが残ったのかを言うことはできない。正直に言えば『ヨブ記』などは読んでいても辛い気持ちになるばかりだった。

しかし、読了して約半年が経ち、振り返ってみると思う。『ヨブ記』もぼんやりと《わかる》気がすると。

《わかる》というのは簡単ではない。しかし、時間が解決してくれることもあるような気が私はする。

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