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脳筋力について

《脳筋》といえば、それは普通は悪口で、考えるより体が動く方が先というか、脳みそまで筋肉でできているというか、そういうことを意味する。

実際、脳は筋肉ではないし、それにたぶん半分以上が脂肪だし、筋肉の性質というか能力は「収縮することにより《力を発生》させる」というもので、脳は外見的には動かないから、当然ながら《脳筋》は比喩であり、"こいつは考えることが出来ん奴"という悪口なのは、まぁ、そうだなと思う。

でも、性能という意味では、脳も身体の一部で、筋肉の《力の発生》とは方向性は違うけれど、《脳力》もなにかの《力》であることも言えないことはない。だから、《身体を使う》という意味において、極端にいえば、《目が良い》《耳が良い》《筋肉が良い》《頭が良い》はざっくり言えば等価である。

さらにそれをグループ分けすれば、《目が良い》《耳が良い》がひとつのグループで、《筋肉が良い》《頭が良い》がもうひとつのグループだとも言える。だって、目と耳はトレーニングによって(一部の例外的な訓練・習慣を除いては)良くなることはないと人々は思っているけれど、脳はトレーニングによって性能(処理速度)を向上させることができるとみんな信じている。そして、それは、普通の人がオリンピック選手にはなれなくても、そこそこ運動が得意になるように、勉強すればもうちょっと脳の使い方がよくなると思っていることも似ている。

すなわち、《脳筋》は脳まで筋肉ということではなく、脳は筋肉と同様、トレーニングによって性能の向上が可能だということを示唆している。

脳筋についての誤解というか私の曲解は他にもありえる。

《運動神経がよい》とは、脳からの指示・伝達が筋肉によって正確に、そしてある一定の強度によって統合的に実現されていることを意味する。すなわち、運動が得意であるということは、《頭が良い》(性能が高い)ということに依存しており、その意味では、《目が良い》《耳が良い》とざっくり言えば等価である。

したがって「運動神経がよい」という自覚は、「オレの視力は1.5だぜ」「オレなんか2.0だぜ」という、なんだか小学生のような自慢とも言えるし、仮に運動が苦手であっても、「まぁ、眼鏡をかければ生活に支障はない」と言えるわけで、過剰にコンプレックスを感じる必要はないのである。

一方、《脳筋》のアナロジーをさらに一般化して、かつ素直に受け止めれば、「脳は筋肉同様、鍛えることが可能(性能を一定程度向上させることが可能)だ」ということである。それは私たちの持つ感覚に近い。

そして私たちは、一定のトレーニングをしていなければ、懸垂100回とかが無理なのと同様、そこに字が書いてあるからといってそれを読めるとは限らないという実も蓋もない事実を忘れがちだ。

すなわち、以下の"ゆる言語学ラジオの#354"で指摘されているように、(脳)筋力は少しずつステップアップしながら伸ばしていくことが必要だという冷徹な事実が存在する。

だから、書籍の「入門書」「高校程度の知識があれば」という惹句は、運動が得意な人が「簡単ですよ~」というのと同様、安易に信じてはいけないし、書籍も経済論理の中で生成されている以上、「この本、難しいですよ」「あんたたちにはちょっと無理」とか書いてしまったら、出版に向けた編集会議で、「おい、大丈夫か?」と言われてしまう可能性が高く、嘘ではなくとも、嘘かもしれないことを、販売戦略の都合上から述べなくてはいけなく理由・事情も理解できなくはない。

本来は書籍においても、《G》《PG12》《R15+》《R18+》等のレイティングが必要ではあるが、あまり一般化していないのだ。

すなわち、この世の中には《脳筋本》が存在する。すなわち、脳を一定の分野において鍛え、腕立て伏せ、スクワット、ランニングによって維持・向上させることが必要で、その分野に必要な脳の使い方(動かし方・コントロール)に習熟した上で、そのゲームのルールを身体自体が体得していることが求められる本が存在するということだ。

https://youtu.be/TUu-XVmAUSQ?si=gnDa_HCvjX4KeQrT

「でもね、筋トレって、好きな人は好きかもしれないけれど、そうでもない人には、「???」な行動様式ですよね。しかも、「全国大会で優勝したい!」とか「オリンピックに行きたい!」とか、誰もが納得してくれる美しい目標が作りにくいし。」

その通りだ。だから、子ども達がボーイスカウトよりもサッカーや野球が好きなのは当然なのだ。ボーイスカウトって何を目指しているのかわかりにくいし、その目指しているものを堂々と語れば、なんとなく「ウザっ」っていう目でみられてしまうかもしれないから。

動きがわかりにくいというのは辛い。筋トレ動画やストレッチ動画だったら、それが得意だったら結構作れそうな気がするが、脳筋力をあげるための動画はそれ自体はちょっと意味不明だ。筋力という性能の向上とちがって動きが見えにくいし、見せつけられるとかなりウザい。

もちろん、脳筋力をあげそうな動画は、それはそれできっと一定の需要はあるのだろう。世の中には「賢くなりそう」「ためになりそう」「勉強になりそう」という、つまりは「役に立ちそう」な動画は多く出回っており、しかもうっかり観てしまったりする。

まぁ、結局、何が言いたいかというと、脳も身体の一部だし、《脳筋》というのも別に悪口とは言えないし、だからといって、いわゆる身体のためにっていうシンプルで純粋な筋トレのようなピュアさは、すくなくとも《脳筋力》については一部の人を除いてはなかなかに難しいし、理解されないだろうということだ。

実際、脳筋力は、視力と違って、本当の性能を測るのは難しいし、その意味では《耳が良い》というのに近い。まぁ、そんなどうでもいいことを思う。

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