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お気持ち感想からの離脱:中塚光之介『採点者の心をつかむ合格する小論文』

地球から衛星軌道に乗るために必要な速度である第一宇宙速度は秒速7.9 km。この速度に達する、物体は地表に落ちずに周回軌道を維持できる。

地球の重力を振り切り、地球を周回することなく宇宙空間に脱出するのに必要な速度は秒速11.2 km。この速度に達すると物体は地球の引力圏から離脱できる。

では、小学校のときに遠足や夏休みの後に書くように言われ、いやいや「なんだかなぁ」と思いながら書いた作文、すなわち、「○○へ行きました。楽しかったです」という《お気持ち作文》からはいつ離脱できるのだろう。

高校で? 大学で? あるいは社会に出て? 私たちはレポートやらなんやらで少しずつ《お気持ち》じゃないものを書くようになる。本当か?

「先週、軽井沢に行ったの。すっごく楽しかった。紅葉が綺麗でね、わーーぁっていう感じ」「この本はすごく面白かった。読んでいてどきどきしたrし、もう感動っていうか気持ちがあふれちゃって。しかもあの意地悪なA、あいつ本当にクズ。主人公の気持ちがすごくわかった」

本当にごめんなさいだ。私たちはちっともあの作文の呪縛から逃れられていない。それどころか学校という枠組みがなくなっただけ、お気持ちがダダ漏れになって制御がない。私たちはどこで間違ってしまったのだろう。

中塚光之介『採点者の心をつかむ合格する小論文』は、そんな《お気持ち感想》という青春の蹉跌がいつ始まり、何を引き起こし、私たちがいまここにいるかを示してくれる。

小論文に悩む高校生向けのノウハウ本として、とてもわかりやすく読みやすい本でもあるけれど、それだけではない。私たちがどこでしくじってしまったのかが静かに解き明かされているのだ。

大学受験のためのノウハウ本である本書では、まず私たちが囚われている小論文の《ジョウシキ》を指摘する。

中塚光之介『採点者の心をつかむ合格する小論文』第1章 小論文の「ジョーシキ」を疑ってみよう

なぜ私たちはこのような《ジョーシキ》に囚われてしまったのか。それは私たちが小学校の頃から良い子だったからだ。

先生に、「ああ、今日は遠足にいったことを作文に書いてください。原稿用紙を後ろの人に回してください。書くときはいいかい、自由に感じたことを書いてね。」と言われ、「今日は遠足でした・・・」の後が続かず、仕方がないから「みんなで学校に集合しました。電車にのって・・・」と続け、最後は先生のお気持ちまで察して「楽しかったです」で締めくくる。それ以外どうしろというのだ。

中塚光之介『採点者の心をつかむ合格する小論文』第1章 小論文の「ジョーシキ」を疑ってみよう

授業・クラス・学校という枠の中で私たちは生きなければならなかった。クラスの他の子や先生、場合によっては親の顔色まで気にしながらの作文において、無難な型を編み出し、とりあえず条件を満たして提出する。それが子どもである私たちができる最善だった。

小学生を侮ってはいけない。ちゃんと諸々の空気を読み取りながら最善を目指してやっていけるのだ。私たちはそうやって、《世間を感じ、世間に合わせ、無難に過ごす》ことを幼い頃からトレーニングしてきた。そしてその健気な努力は無意識によって生み出されたものが《お気持ち作文》の書法・エクリチュールであり、その書法・エクリチュールはいつしか無意識に固定化され、古くから慣れ親しんだ洋服というよりも鎧のように、あるいは身体を覆う皮膚のように私たちに一体化していく。

だから、snsでもブログでも、その経験を踏まえ、無難で当たり障りのないお気持ち感想や、食べたラーメンやケーキの写真で埋め尽くすことができる。それが楽だし、無難だし、snsやブログは本来、強制されていないものでないはずなのに、なぜか私たちは強制されたものかのように感じ、提出しなくてはならないのだから。

この本の第1章のタイトルは「小論文の「ジョーシキ」を疑ってみよう」だが、実は疑えないほどどっぷりと浸かってしまっていて見えなくなっているものを私たちは《ジョーシキ》と呼ぶ。辛いね。辛いよ。ほんと。

だからこそ第2章の「合格する小論文に必要なこと」は救いだ。私たちが囚われている《ジョーシキ》から加速しながら離脱するための方法論が書かれているのだから。

秘訣はシンプルだ。《読解力》。小論文で出題される問題は、内容も形式もさまざまとはいっても、そこは受験のための問題だから、ある程度の方向性が「以下の課題文を読んで・・・・」という形で示されるからだ。だから、その課題分を読み解き、それに対する応答が求められるという指摘だ。

読解法自体は以下の3段階に分解されている。これもとてもわかりやすい。

読解法 ① 筋道を理解する読み方
読解法 ② 自分の体験にあてはめる読み方
読解法 ③ 自分の見解を見出すための読み方

①→②→③と進むにしたがってレベルは上がる。

①は要約問題・説明問題として出題されていることもあるが、求められていなければ前提でよい。800字程度の小論文で要約してたら、作法に則り字数は稼げるが点は稼げない。提出された側の読む人の気持ちを考えても、同じような要約を繰り返し読まされたら「いい加減にしろよ」って気持ちになる。つまり、①は基本だが、そこに拘るのはあまりにもプロダクトアウト的な思考法なのだ。

②は大事だと指摘されている。っていうか、③は大人の出題者相手に《新たな見解》を出すのはなかなか難しいという至極まっとうなアプローチだ。まずは②から。

本書ではこう整理している。

読解法①が、課題分、筆者の考えを理解する読み方なのに対し、読解法②は、筆者の考えを、みなさんが飲み込み、消化して、自分なりの考えに引きつける作業です。

中塚光之介『採点者の心をつかむ合格する小論文』第2章 合格する小論文に必要なこと

この読解法②をさらに分解している①~③は大人である私たちでもできない。よくいるでしょう? というか、私もよくやってしまうが、wikipediaに書いてあることを滔々と述べる人。「それ、調べればすぐわかることなのになんでそんなにあたかも自分が発見したかのように語るかなぁ~」って思うよ。

もちろん、読解法②-①「自分の体験にあてはめる」は危険だ。「俺のときはさぁ~」ってぜんぶ自分の体験の話しかしない人もいる。でも、それはそもそも読解①の「筋道を理解する読み方」が出来ていないからで、問題外。たとえば、これが誰かとの会話の場面だったら、《筋道を理解する読み方》は《相手の言っていることをまずは受け止める》だからね。

それでも著者は優しい人なのだろう。受験生に対しての読解法①の難しさも指摘している。すなわち、「読解する対象の文章は(経験値の高い)大人が書いたものだから、そもそも受験生には体感できない部分があるはず。そこは異文化コミュニケーションと割り切って、そういうこともあるんだ~、そういう風に思ったんだ~と受け止めよう」というようなことが書いてある。たぶん。。。 大人だ。

いずれにせよ、読解法①に加えて、読解法②-1の《自分の体験にあてはめる》は、結構練習が必要だと思う。この本では受験生にとっての練習法については第3章以降に書いてある親切設計だ。

では、既に大人な私たちにとってはどうだろう。読解法②-1の《自分の体験にあてはめる》は上手くできるだろうか。《俺様論》にならないように気をつけながら、自分の体験にあてはめて語る。あれれ、意外に難しい。

だから大事なことは読解法②-1も前提としながら、読解法②-2の《具体例を示す》ってことなんだろうなと思う。会話だったら《具体例を示してみて反応を見る》ということなのかもしれない。会話でなく、snsやブログだったら、《具体例を示して》《自分はどう思うか》を反芻することかもしれない。

ってことは、ここで具体例をしめさなければいけない。具体例を示すということを具体例を示しながら語らないと・・・。

うぐぐ、やばい、またひとつ無駄なお気持ち感想を書いてしまったのかもしれない。。。ぞ。

そうか、小学校のときの作文のような《お気持ち感想》から一歩踏み出すためには、やっぱり練習なんだ。うん、もっと練習しよっと。 

そう僕は思いました。

そうだ、《ジョーシキ》は居心地がよく、まとめとしても楽だったのだ。ごめんなさい。

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