人への共感に満ちた洞察: 平田オリザ 『わかりあえないことから』
コミュニケーションは難しいものだ。そう感じている人は多い。そこには、本当はわかりあえるはずだという前提がある。本書は「わかりあうこと」を重視する風潮へのアンチテーゼから出発する。そして、どんな態度でコミュニケーションと向き合えばよいかを明確に示す。
本書では、演劇の授業での著者の経験も踏まえ、コミュニケーションに関わる微妙なニュアンスや状況が的確に述べられている。コミュニケーションに関わる議論は抽象的になりがちだが、記述は具体的で深い洞察に満ちている。
コミュニケーションに関する人の悩みは深い。人はそれぞれ違うからだ。みんなちがってそれでいいではなく、みんなちがってたいへんなのだ。著者の視線はそれを受け入れ分かち合っている。優しさに満ちている。
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現代人である私たちは、ダブル・バインドの中にいる。ダブル・バインドとは2つの矛盾する指示・拘束(コマンド)のことだ。「行け」「行くな」、「自由にしろ」「わきまえろ」、「するな」「しろ」。矛盾する指示は人の心を蝕み、動けなくする。
コミュニケーションにもダブル・バインドが存在する。「説明すること」と「察すること」だ。その矛盾の中に私たちはある。そんな状況から抜け出る必要がある。そのためには「自分が自分でない感覚と向き合うこと」、「わかりあえないことから歩き出す必要があること」を本書は指摘する。
心からわかりあえることを前提にしないこと。わかりあえず、それでもどうにか共有する部分があることを信じること。その領域を拡げていけるか可能性を思えること。そんなことを前提にした世界観だ。
ダブル・バインドを受け入れて生きていくことを肯定することは、割り切れない価値感の矛盾の中で人が生きていることを肯定することだ。
本書は、コミュニケーションの本質を問いながら、同時に、人というものに対する共感に満ちた洞察に溢れている。
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