変化の予兆:ケアマネの業務範囲
ChatGPTの話でいちばんダイレクトにその本質が問われるのはケアマネという職種かもしれない。人が関わる意味や価値を、AIへの忌避感で拒絶するのではなく見つめ直す時期がすぐにくる。そのことこそが、ChatGPTとはわたしたちにとってどのようなものなのかを問うことにもつながる。
ケアマネという職種でしっかりとChatGPTに対する〈人〉の存在の価値を〈問い〉として検討しておけば、やがてこの技術が医療や行政あるいは法務へと展開したときに、〈そこにあなたという人は必要ですか?〉という〈問い〉にも答えられるはずだ。
そこには〈人〉でしかなしえないものがあるはずだからだ。
しかし、その〈人〉でしかなしえないものとは何か? あえて「ケアマネの業務範囲」について、ChatGPTに聞いてみよう。
注意したいことは言葉の正確さではない。そこに見出されるものに〈人〉でしかなしえないものを考えるヒントを発見することだ。
回答の正確さはともかく、これを読んで私が感じるのは、ケアマネという仕事は〈人〉でしかなしえないものとは何かがあるはずだという確信である。
しかし、私の確信は本当なのだろうか? これからもずっと変わらない本質なのだろうか。
ケアマネとは何かと問うのではなく、〈人〉がすべきことは何かと問うとどうなるのか?
「ケアマネの業務範囲はどこまでか 協会が議論を呼びかける ルールなく拡大していく現状に危機感」という記事を読んだ。
https://www.joint-kaigo.com/articles/8712/
日本介護支援専門員協会の調査によれば、ケアマネは居宅介護支援以外にも多くの仕事を行っており、「今は個々の介護支援専門員の努力や裁量によってなんとか成り立っているが、それに依存せずに済む社会システムの構築が必要」という。大変な仕事なのだ。
居宅介護支援費に利用者負担を導入した場合の影響及び介護支援専門員の業務の実態に関する調査研究事業報告書
ChatGPTにせよ、何にせよ、技術の進展によって《できること》は、ゆっくりと増えていく。技術は魔法の杖ではない。ただ、そのゆっくりと拡がっていく技術の《できること》が増えていったとき、わたしたちは何を手元に残すべきなのか。何に〈人〉が介入すべきなのか。
19世紀と20世紀は技術の進歩が急速すぎて、私たちはなすすべもなく技術の進捗の渦に飲み込まれていた。
21世紀の技術の進歩はより急速で、大変だぁ~などと詰まらないことが言いたいのではない。おそらく本当の驚くべき変化は、見えない形でゆっくりと拡がり、気づいたときにはもう戻ることはできないのだ。
だからこそ、この30年を振り返り、いま起きていることに注意を払い、次に起きることの可能性について予め考えておくことが必要となる。
もちろん未来は予測できない。私たちにできることはせいぜい《びっくりしないこと》ぐらいだし、それでもおそらく《びっくり》してしまうのだろうけれども。