スコアの読書会? ベートーヴェン 交響曲第5番
最近、オンラインの読書会によく参加している。私が参加しているのは、猫町倶楽部という名古屋発祥の読書会で、2006年に始まったというから既に15年以上続いている読書会だ。といっても私が参加するようになったのは、去年の2月頃からだから、読書会に参加するようになって約1年。
そんな猫町倶楽部の読書会でも初めてという『【レクチャー付き読書会】音楽を見るー”初心者のための”楽譜を見ながら聴くクラシック音楽』に去年の暮れに参加した。課題図書は 『ベートーヴェン 交響曲第5番』のスコア譜。
楽譜が読めるとはどういうことなのか。本は日本語であれば大抵の人が読むことはできる。理解の幅はあっても言葉として追うことができる。一方、音楽や数学は、日本語と同じような《言語》《コトバ》だと考えても、外国語と同じように、そもそもの基礎がわからなくてはちんぷんかんぷんだし、A, B, Cはわかっても、単語や構文の構造がわからなければ、日本語のように理解の幅という到達点のはるか手前で失速してしまうように思える。楽譜が読めると思えないものにとっては、《読めない》《そもそもわからない》というコンプレックスこそが最初のハードルでもある。
だから、いくらレクチャー付きだとはいっても、レクチャーは後半で前半は読書会という構成なのだから、前半の読書会はで「スコア譜を使ってお互いに何を話すのだろう?」という探り探りの気持ちで一杯だった。ちなみに読書会のために用意されている時間は90分だ。
しかし、実際には杞憂だった。
楽譜が読めるとは言えない人たちが多数派で、それでも《スコアを読むこと》に関心がある人たちが集まれば、なんだかんだで話ができる。それが読書会?という人もいるかもしれないが、私はそれでも良いと思った。
実際には、大した話をしたとは言えないだろが、音楽にまつわる話、子どものときの思い出、スコア譜を読むという体験、こんな風にやってみたという話などなど、音楽にまつわる話ができたことがまず楽しかった。
他の人の話をきいているうちに若い頃のことなども思い出した。大学生の頃、スコア譜を読んでみようと思い立ち、ベートーヴェンの交響曲の第3番や第7番、ワーグナーのマイスタージンガー序曲のスコア譜を買った。マーラーの2番・5番、ホルストの惑星も買ったような気がする。気がするというのはちょっと記憶が曖昧だからだ。ストラビンスキーの春の祭典はポケット版がなくて高くて買えなかったことだけは間違いがない。貧乏な学生だったのだ。楽譜が読めるとはいえなくても、音楽を聴きながらそれらのスコア譜をみることは楽しかった。私はそれはそれで自分なりにその時間を楽しんでいた。
今回、ベートーベンの交響曲第五番は、初めてスコア譜を見ながら聞いた。
演奏はどれも速くてびっくりしたというのが最初の感想だ。主旋律を追うのがやっとだった。でも、どうやら他の人も同じだったみたい。安心した。「難しいことを話さなくてよい」という猫町倶楽部のルールにも救われた気持ちがあする。そして改めて、「ああ、音楽が好きな人と話すのは楽しい」と思った。
レクチャーの講師は、音楽ライターの小室敬幸さんで、私ぐらいのものにもわかりやすく、とても有意義な時間だった。スコア譜をみながら、第1楽章から順に主題が少しずつ形を変えながら現れるという説明が、私の今にあっていて、とてもわかりやすかったのだ。
スコア譜の解説を書いている土田英三郎氏の記法については、小室さんの解説を聞くまでは「なんとなくわかるけれど・・・」という気持ちだったが、説明を聞いて「ああ、そういうことがしたかったのか」とわかった気持ちになった。心が晴れた。わかったかもしれないと感じることは、何かをはじめるための最初の一歩だ。それが私にとっての意味はとても大きい。私はそう感じた。
いまもベートーヴェンの交響曲第五番を聴きながら書いている。《音楽を見る》。自由に音を楽しむだけではなく、そこにある構造や工夫を意識しながら理解を深めていく。スコア譜を繰り返し見ながら聴く。理解を少しずつ深ていく。若い頃に少しだけ意識した音楽の楽しみ方が戻ってきたような気がする。
同じようなスコア譜を使った読書会があれば、またぜひ参加したいと思っている。というか、なんか、どこがということもなく「ありがとう!!」という気持ちなんだ。