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天才になる!
「俺、天才だからさ」って言って似合う人はなかなかいない。そんな風に言われてもちょっと嫌味だし、こちらからは口には出さなくても「おまえさ~」と心の中で呟いてしまう。私の中で「まぁ、いいか」と思えるのはアラーキーぐらいだ。
荒木経惟『天才になる!』を読了した。 1997年に出版されたインタビューをまとめたものだが、インタビュアーの飯沢耕太郎氏がとても上手く、破天荒にもみえるアラーキーの面白さや真面目さを引き出している。アラーキーはやっぱりアラーキーで、読みながら何度も声を出して笑ってしまった。
東京の台東区あたりの下町ぽい語り口や価値観、60年代から70年代にかけての時代そのもののちょっと壊れたゆるさと破天荒さ、アラーキーならではのアート論や観念論への批判、物と事への向き合い方と距離感、写真の持つ醒めた感じと文学や絵画との違い。アラーキーは時代から忘れられていくのだろうか。
世間の評価はともかく、アラーキーが切り取ったものを私はいまでも評価している。そうか、アラーキーも84歳か。
『天才になる!』は図書館で借りた。なんだか突然のアラーキーの気分だったから。ただ残念なことに近所の図書館にはアラーキーはあまりおいていなかった。そのうち恵比寿の東京都写真美術館のライブラリーでアラーキーの写真集をゆっくりみようと思う。
『天才になる!』は、内容的には下記のサイトと重なる部分が少なくないけれど、インタビューならではの肌感覚や温かさ、心意気が本書からは感じられたのが良かった。たとえそれが「おいおい」という写真であってもだ。「コンセプト? クソ喰らえだろう」ともいうべき、山の手とは一味違う、70年代のもうひとつの勢いがそこにはあった。
近所の図書館ではもう一冊借りることができた。荒木経惟と杉浦日向子による『東京観音』。散歩写真集的な感じでこれも意外と面白かった。
「どこが?」と言われるとちょっと困る。ぶらぶら二人にとってちょっと懐かしい場所を歩きながら、アラーキーがスナップを撮り、杉浦日向子がちょっとした文章を書いているだけの本だから。スナップも文章も「練り込んだ」感じはざっくりとラフだ。
それにしても東京の街の中の石仏とか仏像って、なんというのかなぁ、あまり芸術性!みたいなものを目指していない。ヘタウマ? いや、ヘタウマは下手ながら味があるということなんだけれど、それてもまたちょっと違う微妙な感じ。そう、向島の三囲神社のコンコン様、あの感じ。
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なんか、まじめなんだか、ふざけてるんだか、どっちなんだか。
その友達?の狛犬?もそう。頼む方も頼むほうだし、作る方も作る方だ。
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『東京観音』の写真もそんな感じだ。まぁ、そこがいいところなんだけど。『天才になる!』はそれに比べるともっとずっと[]づきのまじめさがある。どっちもいい。