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会見はまだ続いている
noteに社会的な事件などについて書くことはほとんどないのだけれど、16時に始まった記者会見が23時を回ってまだ続いていることに驚いている。
今回の件についてはこのような対応は避けられない状況だったと思う。そしてどんなに言いつくろっても、はぐらかそうとしても、人間だから観ているものには印象がつくられていく。テレビという《カメラ》と《画面》で切り取った、ある意味で虚構の世界を生み出していた仕組みを運用していた者たちが、テレビとメディアという《暴力》のもとに晒されている。
自業自得?自業自得だと私は思う。特定の価値観の中で静かに強く育まれてきた振る舞いがこういった結果を招いたのだ。質問の言葉が乱暴だったり詰問調であったりするのも社会部の記者が混じっていれば「隠していることがあるはず」という前提の下での質問になるし、当然のことだと思う。
一方で、視聴者である私もまたテレビという文化の《頽落》を《迎合》し容認してきたのだ。「なんだかなぁ~」ともっともらしいため息をつきながら《諦め》の気持ちを抱きながら受容しながら眺めてきたことも否定できない。私も無実ではないのだ。
会見はいつまで続くのだろう。形式的にはやがて終わる。けれど、時代という空気を作ってきた責任に対する心の中の会見は、この先も長く続くに違いない。これもきっと昭和の終わりの一つの形なのだろう。