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世界系GIS
GIS(Geographic Information Systems)、というかQGISを使って、いろいろ遊んでみたいたなと思って、「地理空間情報」に関する本を眺めているのだけれど、測地系に関する言葉にいきなり躓く。
QGISを使うのに、「測地系なんてわからなくても大丈夫!」という気もするのだけれど、「地球の形をジオイド」、「ジオイドに近似する地球楕円体」まではよいとして、準拠楕円体(WGS 84)、日本では日本の経度緯度原点と緯度・経度が一致する地球楕円体Bessel1841を使用、日本でが採用する測地系が日本測地系から世界測地系に移行、世界測地系では採用している地球楕円体はGRS80、仕様開始時の地心直行座標系はITRF94、改訂が行われ地心直行座標系にITRF2008採用・・・という具合にやつばきに「???」の言葉が登場して、頭がワヤになる。
きっとそれぞれに微妙な得失があって、ずれもあって、いろいろなのだとわかるけれど、言葉責めは人を選ぶと知って欲しい。歴史的経緯から理解したいタイプもいれば、実際に使うのはどうすれば・・・と手を動かす方が理解が進むタイプもいる。私は後者なのに、うっかり別のタイプの地雷を踏んでしまったのかもしれない。
そしてこの世には世界系GISという言葉は存在しない。
でもさ、GISは地理空間情報を意味し、地理空間に心の距離みたいなものを強引に導入すれば、世界系GIS(意訳:俺様世界の総体関係性情報)というものも、まぁ、考えられなくなくもないと言えるかもしれない。
子どもが中学生の頃、たぶん中三だったと思うのだけれど、川崎市の真ん中片の武蔵新城から電車に乗って、川崎駅のヨドバシカメラに買い物に行ったことがある。帰りに「ラーメンでも食べようか」と店に入って店員さんがカタコトの日本語で話しかけてきたとき、子どもも「な、なんなんだ!」と声には出さなかったがそれぐらいに驚いていた。
つまり、当時の子どもの世界系GISは、川崎市中原区を中心に半径5 km程度で構成され(まぁ、武蔵小杉から二子玉川ぐらい)、学校と近所と通っていた塾ぐらいでリアル空間ができていたんだと思う。もちろん、妄想世界は別として。
で、大人からみるとそのやや擬似的リアル空間には、カタコトの日本語を話す店員さんは(当時は)いなかったのだろう。だいぶ、前だし。
それは子どもの無知を意味するのではないのだと思う。世界なんて、そんなものなのだ。私たちだって、たとえばガザに住む人とイスラエルに住む人のリアルは、知っているようで全く知らない。実感があるようで実感の根拠が自分の知っていることに限定される疑似的リアル空間で生活していることは、当時の子どもの疑似的リアル空間となんら差がない。
それはなにもエコー・チャンバーとか情報空間とか言いたい訳ではない。《世界》とはそもそもそういうものなんだろうなという改めての確認を、自分の中でしているのだ。
世界系GISは、まぁ、ある意味、それぞれの心というか頭の中にある世界のマッピングだ。それは本来であれば、デジタルの世界からとても遠くて、アナログもアナログ、友達や近親者の世界系GISさえ、本当はばんやりと感じるしかできないものだ。そしてまま、その理解は間違っていたりする。
たぶん、本当にビックリするようなことが起きるときは、本来ならぼんやりと同じような風に持っていた世界系GISが、だだ漏れるというか、共振するというか、身の回りをものすごい勢いで覆い尽くし、自分の世界系GISがその修正・移行に間に合わないときを意味するのかもしれない。
そう考えると、20世紀半ばに生まれ、20世紀後半に社会人となった私やドロシーは、もう本当にびっくりするような世界に生きているのかもしれない。
世界系GISの移行方法は、たぶん誰も教えてくれない。