ロマン派と呼ばれるあなたのことを:チャイコフスキー『交響曲第6番』
猫町倶楽部という読書会の【レクチャー付き読書会】『初心者のための楽譜を見ながら聴くクラシック音楽ーチャイコフスキー交響曲第6番 ロ短調《悲愴》作品74』に参加した。スコアを課題本とする読書会の後、音楽ライターの小室敬幸さんが楽曲解説をしてくれる。自分が既にわかっていると思っていたことにも別の視点や深みがあることがわかる。
初めて自分から聴いたクラシック音楽は、子ども用の百科事典についていたレコードだと思う。曲はチャイコフスキーの『白鳥の湖』だった。両親は音楽には関心がなく、百科事典についていたレコードを、ソノシートをかけるようなほとんどオモチャのようなプレイヤーで聴いた。このプレイヤーは確かアニメの音楽を聴くために小学生の低学年の頃に買ってもらった。
運動は苦手だった。小学生の5-6年生ともなると野球やアメフトに夢中の同級生からなんとなくはぐれて一人で家にいることが多くなっていた。
友達も家族も関心を持たないけれど、そこには別の世界があるかもしれない。そんな仄暗い気持ちでレコードをかけたのだと思う。それが別の世界であることだけが重要で、少しずつその世界が耳になじんでいった。
だから、チャイコフスキーは嫌いでも好きでもなく、聴けば、ああ、あの曲かと思う程度だった。読書会参加の条件は、①課題スコアを目で追って楽曲を最低一回聴いてくること、②楽曲解説も併せて読んでくること。そして参考として下記の推奨音源が示されていた。
【小室敬幸さんによる推奨音源】(spotifyのリンクは省略)
①古典的名演(スコア付き)
ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィル
②最も透明感のある演奏
ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送響(トラック7〜10)
③現代的名演
クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ
④個人的な思い出演奏
ゲルギエフ指揮 ウィーンフィル
⑤日本のオーケストラによる名演(演奏映像付き)
インバル指揮 都響(東京都交響楽団)
この読書会はあくまでも《初心者のための》だから、参加条件は"スコアを見て音楽を聴いてくること"であって《わかる》ことではない。求められているのは《わかる》ではなく《ふれる》こと。
とはいっても、普段、スコアなど読まないので、敷居が低いわけではない。だから参考音源を頼りに繰り返し同じ曲を聴くことになる。
①古典的名演(スコア付き)と位置づけられた"ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィル"はどこか耳慣れたものだった。②の最も透明感のある演奏と記された"ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送響"はどこか響かなかった。そうこうするうちに、スコアを見る前段階で、一旦、挫折した。
ちょうどその頃、NHKがストコフスキーの特集をFMでしていたのでストコフスキーの演奏で聴いてみた。耳に馴染んだ印象で、楽譜をみる気が湧いた。そして、無事にスコアにも目を通すことができた。
私にとっての大きな驚きはこの後だった。それまでなんとなく流して聴いていた③現代的名演と記されたクルレンツィス指揮 ムジカエテルナを改めて聴いたてみると、同じ曲には思えないほど違う。なにが違うのか、私にはうまく言語化できないが、ストコフスキーと クルレンツィスには大きな違いが確かに存在するのを感じることができた。
演奏者による違いは音楽に親しんでいる人には当たり前のことだろう。私もそう思っていた。ただ、これまでの私は、演奏者による違いをテンポとか強弱とかでしか理解していなかったのかもしれない。それが、スコアを見ながら聴くという体験を通して、音色というよりも音響そのものの違いをより強く感じたのかもしれない。いずれにせよ、それはとても新鮮な体験だった。
私にとっての2つ目の驚きと発見は、ロマン派と古典派の違いがなんとなく直観的に理解できたことかもしれない。小室さんの講義がとても素晴らしかったのだ。
正直なことを言えば、これまでも読書会『西洋音楽の歴史』に参加して、ロマン派と古典派の違いを言葉のうえではぼんやりとはわかっていた。
もちろん、言葉としてはなんとなくわかるし、聴いても違うということはわかる。けれども、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンに代表される古典派と、ショパン、シューマン、ブラームス、チャイコフスキーなど、それ以降のロマン派との違い、背景にある"音楽としての時代感"がどことなく腑に落ちていなかったのだと思う。
それが今回のチャイコフスキー『交響曲第6番』の小室さんの講義ではっきりと体感できたように思えたのだ。
それは今回のチャイコフスキーだけではなく、その前の楽譜読書会で取り上げられたブラームス『交響曲第1番』でのブラームスという人のこだわりのポイントや、課題本『バッハ』の読書会でのバッハという人のこだわりのポイントがある程度、理解できていたからだと思う。
https://nekomachi-club.com/events/907fc3a2f995
その意味で、一連のクラシック音楽関連の読書会は、おそらく私にとってひとつの長編読書会なのだろう。
私はこれまでずっと《わかる》ということについてずっと考えている。
今年の一番の私にとっての収穫は、クラシック音楽に関して"何かがわかったような気がする"ことなのかもしれない。ロマン派と呼ばれる呼ばれるチャイコフスキーが作曲を通して試みようとしたことの一端に触れられたような気がするのだ。
そのことを私は上手く言葉にできない。共有もできない。あくまでも私の内側の世界の話なのだ。しかし、とても満足なのだ。