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長編読書としての『平家物語』

2021年、長編読書会『平家物語』に参加しました。その年の1月の終わりに猫町倶楽部のラウンジと読書会に参加するようになり、「独学大全」「アンナ・カレーニナ」に続いて3つめの長編読書会への参加です。

短編読書会には濃密な読書会としての楽しみがあるように思います。長編読書会にはそれとはまた別の愉しみがあります。

愉しみ。いえ、それは満足感という方がよいかもしれません。

「この物語を読むことなく自分は人生を終えるだろう」という漠然とした予感が裏切られる愉しみです。読み終えたという奇妙な達成感は読書としては少し邪道かもしれません。しかし、それでも良いではありませんか。私にとって読書は愉しみのためのものなのです。

その愉しみが様々な彩りをもっていればそれは大きな喜びです。たとえば長編の物語の場合、読み手の私にも波があります。共感したりドキドキしたりしながら読んだ部分、予想と違った展開にびっくりする部分、さらっと読み飛ばしてしまった部分などです。その波が読み手によって異なるので、読書会はさらに面白くなります。「ああ、そこはそんなに味わいのあるシーンだったんだ」とか、「えっ、そこにそんな面白いつながりがあったのか」とか、自分だけでは気づけなかった発見も多くなります。

平家物語の後半でいえば、義仲、維盛、義経、那須の与一、宗盛、時忠、六代のあり方が私にはとても印象に残りました。平家の「光」と源氏の「闇」。それは西洋の光と闇とは異なるものです。光と闇とどちらが正しいということではないあり方が維盛や宗盛や義経の姿にありました。

一方で、私でも知っている那須の与一の挿話は妙に現代的で、今風の会社人生を思いおこさせられ微妙な気持ちになりました。物語としては六代の運命が最終的にどうなるかを私は知らなかったので、その数奇な生涯にとても心が動きました。


長編読書会『平家物語』には、関連すると私が勝手に思った読書会に参加したり、その他の映像を見たりする愉しみもありました。

以下は私が参加したり観たりしたものです。

  • 人形歴史スペクタクル「平家物語」(DVD)

  • 橋本治「義太夫を聴こう」

  • 安田登「100分de名著 平家物語」

  • 橋本治「浄瑠璃を読もう」

  • 芥川龍之介「羅生門」

  • 三島由紀夫「近代能楽集」

  • 芥川龍之介「俊寛」

  • 菊池寛「俊寛」

  • 芥川龍之介「袈裟と盛遠」

  • 世阿弥「風姿花伝・三道」

  • 世阿弥「敦盛」

  • 後白河法王「梁塵秘抄」(光文社古典文庫)

  • 藤沢周「世阿弥最後の花」

  • 石母田正「平家物語」

最初の人形歴史スペクタクル「平家物語」は、図書館のDVDに欠損があって途中までしか観られませんでしたが、吉川英治「新平家物語」がベースなのの保元・平治の乱から始まります。私にとっては完全にアウェイな平家物語という時代の背景をぼんやりにでも掴むためのよいきっかけになりました。

義太夫や浄瑠璃で描かれる平家物語と実際に読んだ平家物語のギャップも面白かったですし、世阿弥の「敦盛」は私が初めて(ほとんど)寝ないで最後まで観ることができた能となりました。世阿弥が「平家物語」から様々の題材を取っているのもわかります。もしかしたら現代に続く二次創作の原点は和歌の本歌取りにではなく「平家物語」にあるのかもしれません。

芥川龍之介や菊池寛の描くそれぞれの「俊寬」を読んでもそう思いましたし、平家物語に題材を取る世阿弥と、その世阿弥と世阿弥の作品に題材を取る藤沢周「世阿弥最後の花」が、ひとつの大きな流れになっているようにも思えました。アニメ「平家物語」のキャラクター原案が「おともだち」の高野文子であることもなぜか嬉しく感じます。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。