変化の予兆:波紋
すでに十分に語られていることなので、屋上屋を重ねる必要もないことだが、新型コロナウィルスは私たちの気持ちにさざ波を立てる。
2020年4月28日。福岡県八女市の藤の花についてこんなニュースが流れた。
写真を見ると「ああ、とても綺麗だ」と思う。
毎年この藤を見るために訪れる20万の人たちに対して先週末にこの藤を見に訪れた人は1,000人。ざっくりと比率でいえば0.5%にしか過ぎない。
残りの99.5%の人、すなわち19万9千人の人はこのニュースをどう思ったのだろう。あるいは「毎年は行かないけれど、行ったことはあるよ。あそこの藤は綺麗なんだよねぇ」と思っていた人はどれほどいるのだろう。
あるいは、1,000人、0.5%の人のために、藤の花は本当に切らなければならなかったのだろうか。切れと言った人は誰なのだろう。それもまた、実は0.5%の人ではないのだろうか。
自分とは違う。あれは違う。これは違う。私たちの心は揺れる。
マイケル・サンデルの「これからの「正義」の話をしよう」の副題は「いまを生き延びるための哲学」だった。テレビは、あんなに熱心にサンデルの番組を流していたのに、新型コロナを前に私たちの心は揺れる。
この本で語られていたことは《幸福の最大化》と《自由の尊重》との二項対立の構図に加え、「そもそもそれは《美しい行為》なのか」という問いだ。それを話し続けようという行為への呼びかけだ。
切られてしまった藤の花は、来年また美しく咲くことだろう。しかし、花と一緒に切られ捨てられてしまった言葉を取り戻せるのかどうか、私は自信を失いつつある。