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ザルツブルク音楽祭2021 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』
歌というものを聴くのは好きなのだけれど、オペラという形式の劇をみるのが正直にいうと苦手で、歌劇『ドン・ジョヴァンニ』も通しで何回か観たことはあっても面白いなと思った記憶がない。
話は唐突に終わるし、"ドン・ジョヴァンニ"というヴィラン(悪役)のキャラ設定も、父殺しの復讐のために”ドン・ジョヴァンニ"を追い回すドンナ・アンナや許嫁オッターヴィオたちとのやりとりも、物語としてなんだか古いと気がしていた。要はちゃんと観ていなかった。
年初に、読書会の後に音楽ライターの小室敬幸 さんが作品解説をしてくれる猫町倶楽部の読書会、ザルツブルク音楽祭2021 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』に参加した。読書会の対象作品の映像はNHKオンデマンドで公開されていたもので、このために2ヶ月だけNHKオンデマンドをサブスクライブした。
映像は読書会の予定が発表されてすぐに見始めたが、途中で一旦挫折する。年末年始でなんとか見終わったが途中で何回も寝落ちした。都度、慌てて巻き戻すという体たらく。家族も「何やってんの?」とあきれ顔だっった。
それでもなんとか年初の読書会に参加し、その後の小室さんの解説を聞くと、全体を見直したくなる。「あのシーンってそうだったっけ?」と確認したくなるからだ。
たとえば舞踏会のシーンでのツェルリーナの右目の隈取り。読書会では「ドンナ・アンナたちも仮面をしているし、仮面舞踏会っぽい雰囲気があったのでは?」と適当なことを言ってしまった。
自分はどれだけいい加減にみていたのかと思う。その前の場面、ツェルリーナの結婚相手のマゼットが、ドン・ジョヴァンニに言い寄られてすっかりその気になった彼女をなじるところで既に彼女の右目は隈取られていた。
改めて見直すと、この場面でマゼットは、後でドン・ジョヴァンニがマネキンをたこ殴りするバットを手にウロウロしている。なのでツェルリーナの隈取りはマゼットに殴られたからという風に捉えることが可能だ。
ただよくよくみると、ツェルリーナの左手には化粧道具があり、彼女は自分で右目の隈取りを塗っている。ということはマゼットはツェルリーナを叩いたかもしれないが、一方でツェルリーナはツェルリーナでちゃっかりと「私って可哀想な子なの」と自分で演出したのかもしれない。
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さらに深読みすれば、その次の舞踏会を踏まえ、「こんな私を騎士様はきっと可哀想と思ってくださるわ。そうよ、騎士様の元に走るのはあたしが悪いのではなくってよ。マゼットの暴力が原因だと村のみんなもきっとわかってくれるはず」という下心があるのかもと勘ぐりたくなるシーンだ。
作品解説で小室さんは「(キャラとして)私はエルヴィーラ推しです」と話されていた。実は私はツェルリーナ推しだ。だってこの人、すごくちゃっかりしているのだもの。
たとえば、ツェルリーナがドン・ジョヴァンニと出会い口説かれる場面。「いいえ、私はマゼットと結婚すると約束したのです。いけません、だまされません」と言いながら、ドン・ジョヴァンニに「いとしい人、君と結婚したい」と口説かれると、「行きたくもあり、怖くもあり。マゼットがかわいそうだし。でもきっと幸せになれるわ、ああ、これ以上は拒めない」と結構、すっかりその気だ。(第7曲 ドン・ジョヴァンニとツェルリーナの二重唱:お手をどうぞ(手をとりあって誓いをかわそう))
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私はそんなツェルリーナが嫌いじゃない。だって正直なんだもの。
あの右目の隈取りのシーンだって、なんだかんだ言いながらマゼットからも嫌われたくないという心根からか、ツェルリーナは「ぶってよ、ぶってよ、いとしいマゼット(第12曲 アリア)と歌う。可哀想なマゼット。君はここでは単なる"キープ"のポジションかもしれないのに。
しかも、ツェルリーナ、「ドン・ジョバンニは悪い奴」ということが明るみにでると、ドンナ・アンナや他の人と一緒になって指さして糾弾したりもする。あれれ(?)なちゃっかりツェルリーナ。
結局、そんなこんなで、読書会の前よりも映像を丁寧に見返してしまった。小室さんが作品解説の参考にと作られた"全体構成"(シーン一覧)のおかげで、全体の見通しがよくなり、話の構造が自分にも掴めたからかもしれない。
改めて観てよいなと思ったのは、やはり歌のシーンだ。
たとえば、第16場~第20場にかけて、第13曲:第1幕のフィーナーレの中で、舞踏会に招待されたドンナ・アンナ、エルヴィーラ、オッターヴィオが歌う三重唱。「裏切られた愛の復讐を、正義の神よお守りください」という歌詞だが、復讐を誓う歌なのに、静かに踊っているかのように歌われて、とても綺麗だ。
あるいは第15曲のドン・ジョヴァンニとエルヴィーラとレポレッロによる三重唱。「静まりなさい、間違った心よ。こんなに高鳴ってはいけない。あの人は無慈悲な裏切り者。あんな人に情けをかけるのは罪なこと。あわれみなど感じてはいけない」という歌詞のエルヴィーラの歌も、多様な人たちがその後ろに立ち、比較的静かに歌われると、人生と自分の気持ちのままならない切なさが、エルヴィーラという特定の人物だけのものではなく、多くの人が共通に持つ思いだという気にもなってくる。
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ちゃらい"ドン・ジョヴァンニ"というヴィラン(悪役)のキャラ設定も、脚立相手に愛を歌うドン・ジョヴァンニの第16曲のカンツォネッタを聴いているうちに、なるほど愛を囁くとはこういうことか・・・という気持ちに。
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ちゃっかり娘のツェルリーナも、ドン・ジョバンニのたこ殴りで人型すら留めなくなってしまったマゼットに「家に帰りましょう。私が直してあげるわ、いとしい花婿さん」と言い、ここぞとばかりに「大切なあなた、良い子にしているならよく効くお薬をあげるわ」と歌う。マゼットがツェルリーナの尻に敷かれるのはまず間違いがない。
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それに比べるとやっぱりエルヴィーラは純粋だ。「なぜ、そんなに苦しんでいるの。あの不実は男は私を裏ぎった。私を突き落としたのよ、不幸のどん底に。なのに裏切られても、捨てられても、あの男に憐れみを感じてしまう」と歌う(第21b曲 アッコンパニャータとアリア)。考えようによっては彼女はとんだダメンズウォーカーとも言えるのだけれど。。。
それにくらべるとドンナ・アンナはしたたかかもしれない。オッターヴィオに結婚しようと言われても、「このかよわい心を乱さないで。この胸は語っています。あなたへの愛を強く語っています」とやんわりと断り、「あなたをどれほど愛しているかご存じでしょう」と美しく歌う。でも、仮面を手に歌うドンナ・アンナの心は、なんだかオッターヴィオではなく、ドン・ジョヴァンニにあるようにも聞こえてしまう。それは私だけのげすの勘ぐりだろうか。
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実際その後ドン・ジョヴァンニが滅びた後にオッターヴィオに再び求婚されると「一年待って」とつれないそぶり。それ、たぶん、断りだからね、オッターヴィオ。
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結局、読書会の前よりも丁寧に見返して、歌劇『ドン・ジョヴァンニ』を「なるほど面白いかも。。。」と思うようになった。
小室さんの"全体構成"(シーン一覧)のおかげだ。全体構成が見通せたおかげで歌の部分の分解能があがり、これまで思っていたよりも歌がずっと素敵だということがわかったような気がする。
そしてそれは新春からなんだかとっても得した気分だ。