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PTAが本当にやるべきこと〜入学「前」プログラム〜

 先週末の土曜日、私がPTA会長をしている東京都世田谷区立弦巻小学校で「入学直前親子のための”ほっと”プログラム」が行われました。

 ただでさえ小学生の保護者たちが、子供たちの現実と未来を憂うコロナ状況ですから、自分の仕事、家事、そして幼稚園や保育園の卒園行事でヘトヘトになっている(とりわけ第一子が)入学前のこの時期に、パパたちが、二重の意味で不安やストレスを受けていることがわかります。
 実は、このことに強く意識したのは、6月入学という変則的経験をした現在の一年生のママパパの「学校のこともお友達のことも何もわからない。それどころか”何がわからないのかもわからない”状態です」という、PTAがやった「しゃべり場」での一言を耳にしたからです。しかも、それは年明けというタイミングでした。天を仰ぎました。

 私が子供の頃の半世紀前は、公立学校は「とにかく4月◯日に集合せよ。書類によく目を通し、期日までにやっておくように。入学前までにあれとこれとそれを自分でできるように躾けておきなさい」という、あたかも軍隊の「入隊前心得」的世界でした。
 21世紀の今、母親もオフィスワーカー(非専業主婦:歴史的用語)が7割近くになっているわけで、こうした積年の慣行とセンスを引きずる公立学校は、どうしても入学「前」の子供と親たちの置かれている状況に対して、「そこは我々の管轄ではない」という基本姿勢になりがちです。しかし、現実は「もういろいろテンパってるママとパパ」が虚な目で学校から渡された書類をぼんやりと眺めているという風景なのです。

 私は、PTA会長になって地域どっぷりの生活目線が尚も強まり(元から家にいることが多い大学教員ですから、井戸端会議が好きなのです)、地域のママパパ、とりわけ「ママ」たちが共通して持っているモヤモヤを解くキーワードが「不安」であることには気づいていました。
 しかし、どうしても自分の記憶と印象でものを考えますから、「子供の卒園行事と下の子の世話と仕事とコロナ下の”コミュニケーションが取れない”ストレス」が重なった時の不安というものを、いまひとつ切実に共有できなかったのです(ここに「入学に合わせて引越して来た」、「同じ保育園から来るお友達がいない」、「家事も育児も相変わらず”サポする”(サポじゃねぇよ。おめぇが主体的にやるんだよ!)レベルで、ゲームばかりやってる◯◯オット君の存在」などの事情が加われば、もう・・・想像するだけで涙が出てきます)。

 「これはいかん」と思った私たちPTA役員たちは、各種行事や会合が中止になったことでできた時間(積年の意味不明会合の多くがバッサリとなくなりました)を、「本当に今、PTAがやるべきこと」を考えることに費やしました。そのいくつかの試みの総まとめが、このイベントでした。
 そこには、「私たちPTAは、6月に入学して、ついたてに囲まれた机で無言で給食を食べ、公開授業も中止され、運動会も”体育発表会”になってしまった一年生とその保護者を放置してしまったのだ」という忸怩たる思いがあり、だからこそとエネルギーをかけたのです(ここまでの経緯と、その意味付けについては別稿に書きましたので御参照ください)。

 やるべきことのポイントは、とにかく「ほっと、一息ついてもらうこと」です。それは以下のような言葉で表せるかもしれません。

「大丈夫。みんなあなた方をウェルカムしてますよ」と伝えること。
「わからないことだらけですよね。気持ちを話して下さい」と尋ねること。
「どんな生活風景が子供とあなたを待っているかを見に来て」と誘うこと。
 
 4月新入学予定の子ども24人、親御さん30数名(全新一年生の約20%)が、このプログラムに来てくれました。親子プログラムですが、「子どもたちは演劇ワークショップを体育館でやる」、「親は別室で”子育てコーチング”とグループ・トークを楽しむ」というふうに分けて、1時間半後に体育館ですっかりワークショップを楽しんでいる子供たちと対面するという段取りです。このくらいの人数ならば、対策をしっかりとすればやれるのです。

 このプログラムのために、子供のワークショップには「世田谷パブリックシアター」の皆さん、保護者のためには「NPO法人ハートフルコミュニケーションの講師(山田由佳さん)が来てくださいました。
 最初は緊張していた子どもたちも、演劇的手法で身体も心もほぐされて、「ここにいるみんなが同じこの学校に入学するんだよ」と知らされると「そうなの!?」と驚き、最後は張り切って「みんなといっしょになってお花になる」というパフォーマンスを演じて、「早く学校行きたい!」と喜んでいました。
 ママパパたちは、3〜4人のグループ・トークを3回シャッフルして行い、途中からは、湧き出る思いと気持ちが相互にドライブ感を引き出し合って、「ほっと」を超えて"ホット”な場となりました。「ああ、みんな不安で、話したくて、たまってたんだなぁ」と、このトークに一保護者として加わった私は実感しました。

 プログラムを終えたみなさんからいただいたアンケートには、ひたすらポジティブな反応が書かれており、「いっぱいいっぱいだったこの時期に、こんなプログラムをやってもらえて、心の底から救われた気がします」、「実際にどういう皆さんとお付き合いになるか転居したばかりでわからなかったけれど、1ヶ月後が見えるようになった」など、もう読んでいてこちらもウルウルしてしまいました。そして思ったのです。

 ああ、PTAが本当にやるべきことは、こういうことだったんだなぁ、と。

 こうしたプログラムは、従来のPTA組織で考えると(地域や学校によって千差万別ですが)、「文化厚生委員会」「広報委員会」「学年・学級委員会」「校外委員会」などの既存の枠組みではなかなかうまくできません。何しろ「そういうことになっているから、やらなきゃならないし、ポイント分やれば解放される」などと、苦しい動機やカラクリが音を立てて軋んでいるのがPTAだったからです。

 私たちは、こういう委員会制度のような枠をこえて、「本当に地域と子どもたちに必要だし!」と思ったことを、「やりまぁーす!一緒にやる人は来てください!」と呼びかける、やりたい人たちが自由に躍動するための「この指止まれ方式」を、コロナ下において制度化しました。だから、この入学「前」プログラムは、「PTA主宰」の活動なのです。学校や行政ではありません。実際に「やろう!」と声を上げてくださった保護者は、PTAの役員ですらない「有志」のみなさんでした。
 このプログラムを見学に来てくださった方々は(区議会関係者や地域の人たち)、「こういうプログラムをPTAがやっているという話は、区内ではあまり聞いたことがない」とおっしゃっていました。
 ちなみに東京都新宿区では、この入学「前」プログラムを「全校で行っている」そうです(今年はコロナ化で中止されたようです)。しかし、これは新宿区という行政がやっているプログラムです。PTAではありません。

 でも私たちには「それは行政の仕事でしょ?税金払ってるんだし」という発想は全くありませんでした。なぜならば、「目の前にぼんやりと肩で息をしているような人々」がいたからです。「誰がやるか?」ではありません。「どうやって助け合うか?」だけです。

 たくさんの友人たちのおかげで、今月末で3年間の任期を終える、PTA会長としての活動のひとつの到達点となりました。

 長々と書き連ねましたが、私がこの投稿で、この問題に関心を持たれるみなさんにお伝えしたいことは以下のことです。

1、保護者の働き方や家族の役割が変化した今、就学児童を抱える者たちの不安とストレスは、コロナ下で眼に映りにくくなっていたが、確実に大きくなっていること。

2、学校はコロナ対策を必死でやっており、先生たちの疲労困憊ぶりを見るにつけ本当に心が痛むから、とにかくPTAは学校を「応援」しなければならないこと。ストレスを先生たちに向けても誰も幸福にならない。

3、社会には色々な技法と能力を持った人たちがたくさんいて、そういう人たちの力を発揮してもらい、「学校やPTAの枠」をこえた協力をきちんとえられること。「行政にやってもらう」だけでなく「NPO等の協力をえる」。

4、「目の前にいる」「自分だってそうなりかねない」という横並びの人々のために何をするべきかを考えるのが、PTAの基本であること。任意団体なのだから、自由に発想し、自由に活動すれば良いということ。

5、コロナ状況は、人々の行動や生活に色々な意味で「通せんぼう」しているが、「暮らしの中から切実なニーズを発見して行うボランティアの原点」を確認させてくれたということ。

 私は、生活に根ざしてものを考えている人々の持つパワーとエネルギーを信頼しています。それを十全に発揮してもらうための「舞台装置」と「天候」をどうやって整備するかを、考え続けています。そして、その延長上に「政治」や「自治」や「民主主義」という大文字の話があるのだと思います。その順番は間違えてはいけないと、学ばせてもらっています。

 これをお読みになられた多くの方にとって、このプログラムが何かの参考になればと思います。

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