連載:コロナ下で考えたい「学ぶということ」#002 「学ぶ=知る・知っていること」
こんにちは。
前回皆さんに、「学ぶこと」を色々とわけてみて下さいと、私は書きました。そして、そのためのきっかけ作りとして、いくつかの「学ぶこと」について、頭に浮かぶことを書いてみました。あれから、皆さんはどれが頭に浮かびましたか?
今回は、最初に書いた「テストでいい点を取れるよう準備すること」について、ちょっと考えてみたいと思います。塾に行き始める4年生以上の人には興味があるでしょう。
皆さんは、テストと聞くと「いい点を取らなきゃ!」とか「0点だったらどうしよう?」とか、色々と心配になりますよね。どうして心配になるのでしょうか?それは、きっといい点をとると母さんや父さんが喜ぶし、逆だとがっかりされると思うからでしょう。
母さんも父さんも、大人になるまでもうイヤというほどテストを受けてきて、点は良い方がぜったいにいいのだと思っています。でもそれだけが良いなら、ここでの話がおしまいとなってしまいますから、もう1回ここで立ち止まって考えてみましょう。
「テストの点が良いというのは、いったいどういうことなのか?」です。
テストにも色々ありますけれど、普通は4年生なら4年生向け、5年生なら5年生向けに知っていなければならないことを、ちゃんと知っているかどうかを「テストする」のがテストの役割です。だから大切なのは「知っていること」です。
「知っていること=良いこと」、「知らないこと=悪いこと」です。
このことを一番大事だと考えている人にとっては、「学んだ」とは「知っていることがたくさんある」となります。このときの「学ぶこと」とは、コップの中に水をつぎ足して、いっぱいにするというイメージです。
空っぽだったコップに知識の水が注がれていっぱいになると、そのぶんだけ自分がかしこくになった気がします。だからどんどん学んで、コップの水が何倍にもなるくらい知っていることを増やそうと努力するのです。
大人が「勉強しなさい!」というときには、あまり意識していませんが、子供たちの頭の中が知っていることの泉でいっぱいになっていることを期待しているのかもしれません。
でも私がここでお話ししていることは、あくまでも「学ぶこと」についてです。「勉強する」という言葉でなく、あくまでも「学ぶこと」です。勉強という字を分解すると、「強く」あるいは「強(し)いて」、「勉(つと)める」です。だから少々無理をしながら「がんばる」という意味が含まれています。
果たして、学ぶことを「無理してがんばること」と同じと考えていいでしょうか?学ぶことは、いつだって「頭のコップの水をいっぱいにするためにがんばること」なのでしょうか?
ここまで読んでくれたみなさんは、ちょっと気がつき始めていますね。
「知ることだけが学ぶことではないんじゃないか?」と。
つづく。
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