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連載:コロナ下で考えたい「学ぶということ」#001「学ぶ」をいくつかに分けてみよう。

 【連載の目的(長い前置き)】

 連載の目的は、「まなぶということ」を切り分けてみることです。


 新型ウィルス対策で制限された生活となっていますが、そのため子供たちの通う小学校の運営も手探り状態です。
 そうした状況で、どうしても多くの保護者の皆さんが不安や不満を持ってしまうのが、「学校の授業をこんなにやらなくて、子供たちはどうなっちゃうんだろう?」という問題です。
 地域差、公立か私立か、校長が誰なのか等によって、具体的に起こっていることは千差万別ですが、「十分に学べないことになっている」という点において、悩みは広く共有されています。
 憲法条文を引き合いに出して、憲法学者さんたちも「今まさに、子供たちの学ぶ権利が蹂躙されているのです!」と、危機感を募らせています(たぶん)。

 PTA会長として、地域と密着して生活していますから、そしてただでさえオフィス・ワーカーに比べて家にいる時間が長い(講義や会議のない日は自宅警備)業種ですから、この状況下、家の前で娘がリップスティックや一輪車の練習をしている間に、近所のママパパとものすごい情報交換をしています。だから、「まなび」への危機感はひしひしと伝わります。

 そんな時、私が住む東京のマンモス特別区(人口92万人)の教育委員会は、やっと色々と気がついて、あれこれと子供たちの学習のための施策を打ち出しつつあります。そもそも「教える人」を養成していないのに「ICT教育」とか、「タブレットの貸与」とか。
 しかし、教育政策などという政策「慣性」の強い分野は、最低でも30年先を見据えて準備しておかないと、付け焼き刃的「言い訳」政策となります。そして、その中途半端さがなおもまた市民のイライラを募らせるのです。
 自治体は、色々なところの板挟みになりながら、けっこう頑張っているだけに、非常に切ないです。

 私は、行政官でも政治家でもないので、かような事態に直面した時に、この立場で何ができるかを考えましたが、結局、学校で働く人間として、これまでずっと考えてきたことを、多くのみなさんにお伝えすることしかないと思いました。なぜならば、ほとんどの皆さんが「学ぶ」ことを漠然としか考えることがないからです。
 「学びが危機です!」と騒がしく、でもそれは切実で、それをなんとかしたいと思う人がたくさんいるのに、「本当は何を守り、何を育てねばならないのか」がバラバラなのです。つまり「まなぶ」ことが、どれだけ広く多くのことで成立しているかが切り分けられていないのです。
 ですから、人々の焦る気持ちをなだめながら、ここで「そもそも今さらの話」がやっぱり必要だと思った次第です(私たちの職業の役割は、月給をもらって「何を今さら的なことを丁寧に説明する」ことだと思ってますから)。

 現在、連載をPTAのウエブサイトに載せているのですが、同時にここにも連動させて、多くの人に読んでいただこうと思います。
 
             ☆  ☆  ☆
連載:コロナ下で考えたい「学ぶということ」
#001 「学ぶ」をいくつかに分けてみよう。

 学校がじんわりと再開されつつありますね。

 みなさんは休校になってしまって以来、そろそろ退屈になって「このまま学校にいかないということでいいのかしら」と思い始めているかもしれません。ラッキーと思っている人もいますね。みんな当然の反応です。

 先のことはわかりませんが、こんな時だからこそ、あえて算数や国語のドリルやプリントからちょっとはなれて、この文章を読んでもらえればと思い、この連載を始めました。

 お話は、「学ぶ」ということについてです。

 みなさんは、「学ぶ」ということをどういうことだと思っていますか?保護者のかたがたは、「勉強しなさい」とか「学びなさい」と、ほとんど口ぐせのように言いますよね?
 だからみなさんも、「はいはい(わかったよ)」とか「もう、今やろうと思ったのに!」とか、その言葉に気持ちで反応して終わりです。保護者も「とにかくやらせなきゃ」と焦って、色々なことを考えて、ついつい口数も多くなります。

 だから、「でも、学ぶっていうのは、ほんとうはどういうことなのかしら?」と、立ち止まることを忘れがちです。あんまり言うと、逆に考えなくなりますよね?
 この後、お話を進めるために、私が今、さっと頭に浮かんだ「学ぶこと」をざっと書いてみます。これは、「学ぶ」ということを、その言葉以外で言い換えてみるということです。

 「テストでいい点をとれるように準備すること」
 「知らなかったことを知ること」
 「頭や知識だけじゃなくて、心のそこから“わかった”という気持ちになる
  こと」
 「まずは、うまくできている友だちや大人のやり方をまねてみること」
 「こうだと思い込んでいたことが違っていて、頭がクラクラすること」
 「やらなきゃ、という気持ちをわすれるほど楽しく夢中になること」
 「やればやるほどわからなくなっていくこと」

 本当は、もうあと10個くらいあるのですが、長すぎると最後まで読んでもらえないことを、これまでの人生で「学んだ」ので、最初はこれくらいにしておきますね。
 これについて、ひとつひとつ説明はいっきにはしません。
 だからこれを読んでいるすべての人は(児童のみなさんだけじゃなくて、保護者のかたも)、これをヒントにして「自分が一番しっくりとくる“学び”」はどれかな、などと考えてみてください。

 みなさんそれぞれが重要だと思うことが違っていても、そんなの当然ですから、心をゆるめて、自分がこれまでに一番重きをおいていたものを考えてみてください。

 つづく。

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