ワードドリブン -”言葉=想い”を起点とした事業の推進-
データがあれば想いはいらない?
みなさんは「データドリブン」という言葉をご存じですか?
明確な定義があるのかどうかは分かりませんが、ひとことで説明するなら、「データを活用した事業の推進」になるでしょうか。
ここ数年、「データドリブン」はさまざまなビジネスシーンで使われはじめ、その重要度は年々高まってきているように思います。
顧客の年齢や性別・趣味嗜好、市場のトレンドやニーズなど、さまざまなデータを分析することで、企業として次に打つべき一手は何なのかがクリアになり、意思決定がしやすくなる。
これは、まったくそのとおりだと思います。
データも何も見ず闇雲に企業活動に邁進するのは、ジャングルで独りスイカ割りに興じるようなもの。
方向も距離も分からないのに、スイカが割れるかって話です(割れる人は新手のスタンド使いかなんかです)。
でも、データを活かすのは、そして事業そのものを動かしていくのは、どこまでいっても人です。
(これも、いつかAIが取って代わるのかしら…?)
仮に「食糧危機を解消するためには、農薬を蒔きまくってでも大量生産すべきだ!」なんてハチャメチャなことをデータが導き出したとして、「それはそうだ!」と納得し、実践する人はまずいないでしょう。
実際にプロジェクトを推進する人の原動力は、どこまでいっても「想い」ではないでしょうか。
「”言葉=想い”を起点とした事業の推進」
だから「データドリブン」はもちろん大切なんだけど、「ワードドリブン」も大事なんだよ、という話をしたかった次第です。
「ワードドリブン」……見慣れない言葉だと思いますが、それもそのはず、私が先日考えた造語だからです。
※2020年6月22日現在、Google検索および特許情報において「ワードドリブン」という言葉は確認できませんでしたが、もし既に使われている方がいましたら申し訳ありません。
「データドリブン」の定義が「データを活用した事業の推進」とするなら、
「ワードドリブン」は「”言葉=想い”を起点とした事業の推進」とでも定義しましょうか。
とはいえ、これは難しい話でも、まったく新しい概念でもありません。
あらゆる企業に理念や行動指針があるように、数多の商品・サービスにコンセプトが存在するように、すべての物事には原点となる言葉があるはず。
(新約聖書にだって「はじめに言葉ありき」と記されています)
なので、データや自分の行動に疑問を感じたときは、原点となる言葉に立ち返ってみては?というシンプルな話なのです。
「地球環境を守る」という想いをドリブンにしている人が、農薬をばらまくなんて行動に至ることは、想像できないでしょう。
(日々の業務やノルマに追われて、原点を見失う例もありますが…これは本当に悲しいことです)
また、想いは解像度が高ければ高いほど、具体的なアクションへとつなげやすくなるはずです。
たとえば「世界を変える」と言うよりも、「アートの力で世界を変える」と宣言したほうが、手段や目的がより明確になり、事業をドライブさせやすいのではないでしょうか。
「ワードドリブン」あっての「データドリブン」
繰り返しになりますが、今回の話は、決して目新しい内容ではありません。
ただ、データや効率を優先しすぎると、「想い」は意外と忘れられてしまうものではないかとも感じています。
個人的な見解ですが、「ワードドリブン」あっての「データドリブン」だと考えています。
そして、コピーライターの使命はまさに「想いを言語化して事業をドライブさせること」にあります。
そのことを自分自身が再確認するうえでも、今回noteを書きました。
事業や行動に迷いが生じている人は、一度立ち止まって、「ワードドリブン」で考えてみてはいかがでしょうか。