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日本神話解説⑨ 天孫降臨と五大神勅について

天孫降臨について

オオクニヌシの国譲りによってアマテラスの子孫が葦原中国(あしはらのなかつくに)つまり日本を統治することになりました。アマテラスは息子であるアメノオシホミミにその任にあてますが、アメノオシホミミはその支度をしている間に邇邇芸命(ニニギノミコト)という自身の子が生まれてしまいました。アメノオシホミミは子のニニギノミコトを降臨させたいとアマテラスに申し出たので、生まれたばかりのニニギノミコトが降ることになりました。

地上を目指すニニギでしたが、行く先に葦原中国を照らす神がいました。その神は猿田毘古神(サルタビコノカミ)という神様で、道案内を買って出ると言いました。さらにニニギには天児屋命(アメノコヤネノミコト)、布刀玉命(フトダマノミコト)、天宇受売命(アメノウズメノミコト)、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)、玉祖命(タマノヤノミコト)という五伴男(イツノトモノオ)と呼ばれる五柱の神様が従い、さらにアマテラスは八尺の勾玉(やさかのまがたま)、鏡、草薙剣(くさなぎのつるぎ)という三種の神器を授けて、思金神(オモイカネノカミ)と、手力男神(タジカラオノカミ)、天石門別神(アメノイハトワケノカミ)を添えて「これを私の魂として、私の前を拝むように同様に祭りなさい」と命じました。

そうしてニニギ一行は、天浮橋(あめのうきはし)から日向の高千穂の峰に降り立ちました。日向の高千穂の峰、つまり九州は宮崎県あたりのどこか山の上に降り立ったようです。歴史においても、古代の九州に日本を代表する王朝が存在していたと考えられています。日向と言えば、イザナギが禊をして三貴神(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)をお生みになった場所です。初めての穀物の生産は南九州から「海の道」を通って伝わり始まったと考えられていますし、稲作文化や鉄器などがもたらされたのも九州です。

仏教伝来にしても大陸との交易にしろ、外交の窓口はすべて九州でした。鉄砲伝来も九州は鹿児島の種子島でしたし、鎖国をしていた江戸時代にあっては唯一の西洋との窓口は長崎でした。明治維新で中心的な役割を果たした薩摩藩や佐賀藩も九州の藩であり、大東亜戦争を終結させた原子爆弾が最後に投下された一つは長崎、これも九州でした。話は逸れましたが、とにかく九州はいつの時代も、時代の変化のはじまりの地です。

天孫降臨が行われるにあたり、アマテラスとタカミムスビが天孫であるニニギに下した命令が五つあります。これを五大神勅といいます。これは日本という国家の根幹となる指針を示したものであり、これは『日本書記』に記されています。

以下に簡単に解説していきたいと思います。

天壌無窮の神勅

「葦原千五百秋瑞穂の国(日本国)は私の子孫が治めるべき地です。行って治めなさい。天地共に永遠に栄えることとなるでしょう」

「葦原千五百秋瑞穂の国」とは、多くの稲穂が豊かに実る豊潤な国である日本国の美称です。「天壌無窮」とは天と地がどこまで行っても均衡を保って続いていくという、永久性を示す言葉です。我々日本人は永遠の繁栄を神々から祝福された民族なのです。日本人の勤勉さはここに起因していると思われます。

「働く」とは、「端を楽にする」ことです。子孫繁栄を祈り、一生懸命働いて下さったご先祖様方のおかげで今日に我々の豊かな生活があります。これと真逆にあるのが「今だけ、金だけ、自分だけ」という考え方です。このような考えが政治や経済、世の中全体に蔓延っているために、今や日本国全体が凋落してしまいました。永遠の繁栄のための選択肢を選んでいく時代を取り戻して行きたいものです。

宝鏡奉斎の神勅(同床共殿の神勅)

「我が子よ、この鏡を見るとき、当然私を見るのと同じように見るべきである。床を共にし、同じ殿に奉安して神聖な鏡としなさい」

三種の神器のうちの一つである八咫鏡は天照大御神のご神体であり、本来は宮中で大切に安置してお祭りしなければなりませんでした。しかし鏡に宿るあまりに強大な神威を恐れた第十代祟神天皇の時代にこの鏡は伊勢の地に移され、伊勢の神宮が創祀されました。

斎庭の稲穂の神勅

斎庭の稲穂を授かったことで我が国の主力産業となったのが米作りでした。江戸時代までは石高が国の経済力や戦力を示す数値であり、お米がお金であり、軍事力でした。我々日本人はご先祖である神様のご命令に従って、お米を作り、お米を食べて生きてきました。戦後から我々の食生活はガラッと変わり、米を作る田んぼはどんどん減少しています。

神社で「大祭」とされる祈年祭では五穀豊穣を祈り、新嘗祭は収穫に感謝を捧げるお祭りです。神道は「米作りの信仰」といっても過言ではありません。稲作によって我が国の文化が形作られたのです。

稲作は日本の限られた土地の中で、最もカロリー生産効率の高い産業です。お米があったおかげで今日の日本の繁栄があることを忘れてはいけません。お米を作らない、食べないようになったらこの日本という国は日本では無くなってしまう。それほど日本人にとって重要な存在が稲作でありお米なのです。

侍殿防護の神勅

「天児屋命・太玉命ら二柱も同じく殿内にいてお護り申し上げよ」

天児屋命は中臣氏(後の藤原氏)の、太玉命は忌部氏のそれぞれの祖先神に当たります。この二柱の神は皇室を護る重要な役割を授かりました。中臣氏と忌部氏の両家は天皇の側で仕え政治を補佐し、同時に祭祀を司ってきました。これが祭政一致の原則につながったと考えられています。

藤原氏は江戸時代まで朝廷の政治を担ってきました。一方の忌部氏は朝廷を離れますが、その末裔が織田信長といわれています。両家ともこの神勅に従い、神職と政治家の家系として皇室をお護りしてきました。

この神勅によって「侍」という言葉が生まれます。日本で最初の侍は中臣氏と忌部氏です。「惟爾二神、また同じく殿の内に侍ひて・・・」と原文にあるとおり、侍とは大切な人を近くでお支えし、お守りする存在です。日本と言えばサムライの国であると、海外から認識されています。それに呼応するかのように、野球のサムライジャパン、サッカーのサムライブルーと名付けていますが、日本人にはぜひともこの侍の本義を自覚してもらいたいものです。

神籬磐境の神勅

「私は天上の世界で神籬を立てて瓊瓊杵尊(ニニギ)のためにお祀りします。天児屋命・太玉命は地上に降りて瓊瓊杵尊にお仕えしなさい」

神籬(ひもろぎ)というのは神様をお招きする樹木のことです。現在でも神社の神職が出張奉仕する地鎮祭などでは、大きな榊の枝を神籬として使用しています。磐境とはこれも神様がお鎮まりになる大きな岩のことです。古代には神社に社殿は存在せず、このような樹木や岩に神様をお招きして祭祀が執り行われていました。いまの日本に神社があるのはこの神勅があるからです。日本にある全ての神社では毎日、皇室の繁栄を祈る祭祀が行われています。

以上、この五大神勅が、いかに今の日本の国體(こくたい)を形成するうえで重要なものであるかが、理解できると思います。


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