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日本神話解説⑧日本の正統なる統治者だった大国主の国譲り

オオクニヌシが造った国は、「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国」(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに)と呼ばれるようになりました。豊かな葦原を持ち、長く久しく稲穂の実る国という意味です。

しかし、天上の高天の原を統治するアマテラスはその国を自分の子に治めさせようと考えました。そこで、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト:稲穂が押し合いへし合いするほど実る状態を表す名)を地上に遣わしますが、「あの国は混乱して荒れていて、無秩序の状態である」と帰ってくるなり報告します。

そこでアマテラスが命じて、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は八百万の神々を集め、国を譲り渡すことについて、オオクニヌシにどのように説得すればよいか相談をしました。その結果、アマテラスの次男である天菩比神(アメノホヒノカミ)を使者として遣わすことになりました。アメノオシホミミの報告から察するに、この時代は争いを繰り返す小国分立時代だったということです。社会的インフラは整ったけれど、統一国家の体裁を成していなかった推察されます。

一方、天上の世界である高天原では、天の岩戸の一件以来、本来の平和で穏やかで豊かで、物や文化に恵まれた秩序正しい世の中となっていました。天照大御神様はこの天上の生活を地上にもたらすべくして、我が子を日嗣の皇子(ひつぎのみこ)として、絶対的な正統性をもって統治に当てようとお考えになったという訳です。

父イザナギより「大海原を知ろしめせ」即ち、地上世界を統治せよと命を受けたのが弟スサノオで、その子孫であるオオクニヌシは国造りとして農業、商業や医療、縁結びと、日本国土のインフラ整備を強力に推進し、国土の形成と発展に貢献し、その使命を完遂しました。本来であればそれを統治する権利はオオクニヌシとその子孫にあった訳ですが、このままの統治では天上の高天の原のような平和で豊かで争いのない世界を地上世界で実現するには時間が掛かりすぎると、姉アマテラスのご神慮が働いたのだと考えられます。

さて、国譲りの交渉に出かけてアメノホヒですが、オオクニヌシの魅力の虜になってしまい、オオクニヌシに媚びへつらうこと3年が経ち、本来の命に服す気配もありません。次に高天原の神々は天若日子(アメノワカヒコ)に弓矢を授けて遣わしますが、この神様に至ってはオオクニヌシの娘と結婚してしまい、8年経っても命に服しませんでした。天上の神々にとって、まさに「オオクニヌシ恐るべし」といったところです。交渉にいっても、逆に上手に言いくるめられ、オオクニヌシの言いなりにされてしまいます。2回目の交渉から既に10年の月日が経ってしまっています。

実はアメノワカヒコに至っては、自分自身がこの国を頂いてしまおうと考えていました。そんなアメノワカヒコに対して、何故に8年も音沙汰無しなのかを問い正すために、鳴女(なきめ)という名の雉(きぎし)を使いにだして伝言を伝えますが、天佐具売(あめのさぐめ)という吉凶を判断する巫女が「不吉な鳴き声だから射殺してしまえ」といったので、アメノワカヒコは高天原の神から授かった弓矢でその雉を射殺してしまいます。その矢は雲を突き抜けて高天原に届きます。

それを見たタカミムスヒは「この矢はアメノワカヒコに与えたものではないか」と言い、さらに、「もしアメノワカヒコが悪い神を射た矢なら当たるな、もし邪心があるならばこの矢に当たって死ね」と言って地上をめがけて矢を投げ落とすと、その矢は見事にアメノワカヒコの胸に当たり、たちまちに絶命してしまいます。

その後、再び神々は協議し、雷の神であり、剣の神である武御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)と天鳥船(アメノトリフネ)を遣わしました。雷は船に乗って天と地を移動するものと考えられていたことを示しています。ついに強力な武力をチラつかせながら交渉に出たというわけです。

この二柱の神がオオクニヌシに天上の世界の神々、すなわち天津神の意向を伝えると、オオクニヌシは子である八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)が答えるでしょうと言いました。ヤエコトシロヌシは天つ神の意向を受けて「この国を天つ神の御子に立奉(たてまつ)らん。」といって即座に退きます。オオクニヌシに「他に言うべき子はないか」と尋ねると、「建御名方神(タケミナカタノカミ)が居る。これ以外に無し」ということを告げている所に、手に大岩を乗せた当の本人であるタケミナカタが現れて、「俺の国へ来て、こそこそと話をしているのは誰だ。だったら力くらべをしよう。俺が先に手をとるぞと」いってタケミカヅチの手を掴むとたちまちにその手が氷柱(つらら)に変わり、剣の刃に変わったので、タケミナカタは驚いて退くと、「今度は私の番だ」とタケミカヅチがタケミナカタの手をとって投げ飛ばしました。

まるで映画のターミネーターのようなタケミカヅチ。昔からこんなまるでSF映画のような描写があったことに驚きです。逃げ出したタケミナカタは信濃の諏訪湖に追い詰められ「私をどうか殺さないで下さい。私はこの地にずっと留まります。葦原中国(あしはらのなかつくに)は天つ神の御子に差しあげます。」といってそのまま諏訪の地の神になりました。これが諏訪大社の創建です。

こうして国譲りが行われ、オオクニヌシはそれにあたり、「私の住まいは天つ神の子孫の宮殿と同じく壮大なものを築いてください。そうすれば多く曲がり込んだ片隅の国に身を隠しましょう。また、私の子である百八十神の神はヤエコトシロヌシが殿(しんがり)となって仕えれば、逆らう神はおりません。」と言いました。古代出雲に存在した神社は180社ほどだったので、ちょうどこのオオクニヌシの子たちである「百八十神」と付随しています。

出雲の荒神谷遺跡では昭和58年に銅剣が358本も出土したことで有名ですが、それまでに全国で出土した銅剣が300本でした。つまり出雲の1ヶ所に全国の半分以上の銅剣が出土したことになり、それまで神話上の物語とされていた出雲大国の実在が信憑性を帯びてきました。なぜこのような膨大な数の銅剣を一ヶ所に集めなければならなかったのか。何かしらの強大な勢力の脅威を受けて銅剣を隠していたのではないか。様々な憶測が語られていますが、出雲大国はこの地から消えてしまい、オオクニヌシを祀る大宮殿のみが残されることとなりました。

この国譲りに際しては、幕末維新の江戸城無血開城のように一滴の血も流されないまま国が譲られたかどうかは分かりませんが、異説の伝えによれば武力と謀略をもって出雲大国が攻め滅ぼされたという説も存在します。

いずれにせよ、こういった経緯のもと、日本で一番立派な宮殿=出雲大社が創建されました。通常、神を祭る神主はその祭神の子孫がするべきものなのですが、オオクニヌシは「多く曲がり込んだ片隅の国」に子の神々と共に身を隠してしまいましたため、この神話上においては、この現世(うつしよ)に子孫はないということになりました。

よって例外ではありますが、別の家の者にその任にあたってもらわねばなりません。結果としてオオクニヌシに心服していた、第2の使者でアマテラスの次男アメノホヒがその神主を務めていくことになり、それが後に出雲国造家となり、現在も続く出雲大社宮司家である千家家(せんげけ)につながっています。

勇退したオオクニヌシは、幽冥界(見えない世界)を司る神として「幽冥主宰大神 」(かくりごとしろしめすおおかみ)になり、この現実世界と表裏一体であるもう一つの世界から、常にこの世の我々を見守ってくださる神様になられました。

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