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100人いたら100通りの子育て取材 №.18 金澤純子さん

立春を迎え、暦の上では春が訪れましたが、この日の十勝地方は冷え込みが厳しく、まだまだ暖かくなる日は遠いと感じるような気温です。そんな寒い日にほっと心が温かくなる優しさで包み込む女性に取材をさせて頂きました。

この企画は帯広を中心に活動をしているおかあさんのがっこうの企画として、「魅力プロジェクト」と題し、100人のお母さんに子育てについて取材させて頂いています。おかあさんのがっこうの活動の詳細については下記をご覧ください。


いつも、お会いすると、温かさ、誠実さを感じ、人をほっとさせる魅力をもつ金澤純子さん。
今回はどんなことを大切に子育てをされてきたかを伺いました。

純子さんには33歳になる長男さん、29歳になる長女さんのお二人のお子さんがいらっしゃいます。現在はお二人とも立派な社会人としてご活躍されています。

長らく、保健師として仕事をされてきた純子さんですが、仕事と子育ての両立や、子育てに専念した時期、そして仕事への復帰と、女性のライフステージの変化に伴い、ご自身の仕事や子育てにしなやかに対応してこられたことをうかがうことが出来ました。


純子さんの子育ての原点には、長男さんを妊娠中、切迫流産になり52日間の入院を余儀なくされたことにより、命を授かり無事に産み育てることがどれほど尊いことか、ありがたいことなのかを身に染みて感じ、子育てをちゃんとしなくていけないと強く感じたといいます。

それまで仕事に重点をおいていた生活が、絶対安静で入院となり、たっぷり時間を与えられたことで、お腹の赤ちゃんとのコミュニケーションをとったり、胎教でクラッシックを聞いたりし、「大丈夫だよ~」と声を掛け続けていたといいます。

ちょっとでも、無理をすると出血し、いつ流産となるかわからない不安定な状況であっても、その状況をマイナスと捉えずに赤ちゃんと向き合う時間が出来たと前向きに乗り越えた純子さんの強さを知れた気がしました。

出産はとても安産で無事に生まれ、とても冷静で静かなお産だったといいます。
保健師でありながら、助産師の資格ももち、学校で学んだことが活きてお産の進み具合も冷静にみれていたといいます。

生後2か月で共同保育所に長男さんを預けて、仕事と育児の両立が始まりました。二歳半から大きな保育所に入り、急に行き渋るようになったそうで、早めに家を出てしばらく散歩をして保育所に行くということを続け、二週間ほど経った時、2歳半の長男さんが「お母さん、もう仕事行っていいよ」と言ったそうです。

「ああ、こんなに小さくても全部分かっているんだなと思いました。昔の人は数えで年を数えて、生まれたら0歳ではなく1歳としていたけど、それは本当だなと思います。お腹の中で過ごした十月に色んなことを吸収して、理解しているんですよね。子どもが分かっているということを分からない大人のほうが多いかもしれませんね」

長男さんが3歳半の時に「兄弟が欲しい」と純子さんに頼んできたと言います。
長女さんを妊娠中、切迫で入院となり、入院中、「僕が兄弟を欲しいとお願いしたから」と、お母さんが居なくても泣かずに頑張ったといいます。
お腹の中の兄弟に向かって絵本を読み聞かせしたり、逆子になった時も、もとに戻った後、逆子になりそうな赤ちゃんに向かって「ストップ」と言ったりと、すでに兄弟の絆を育んでいたようです。長女さんが生まれた後、とても仲良しの兄弟で、大人となった今でもとても仲が良いそうです。

長女さんを産んだ後は、仕事を続けるか迷って色々な方に相談したら、「子育てなんて10年なんだから10年経ったら手が離れるから」と言われ、「10年しかないの!?」と思い、貴重な10年を子育てに専念しようと決めて一度仕事から離れたそうです。
「お金には変えられない時間だから」そう思い、子育てにどっぷりと浸かった時間を過ごした純子さん、どんな子育て期間だったのか伺いました。


育児休暇中に、たまたまテレビで見た『家事を効率よくするコツ』という内容を教えていた#¹友の会に出会い、友の会の衣食住を大切にした子育てや、家計簿をつけて生活を見直すことなどを教わったといいます。
「早寝早起き、そして4回食。親がやってあげることは究極それだけ」と、生活リズムを整えて、食事を丁寧にしてきたことで、ほぼ病気になることもなく育ったといいます。    
長男さんは小中高と皆勤賞だったそうで、素晴らしいですね。

小学生になると、学校で友達とテレビ番組の話題で盛り上がるので、見たいテレビの時間も予め決めて、それ以上は録画して、登校前に録画を見たりと工夫されていたそうです。

生活そのものが勉強であると、家の中の仕事も子ども達と一緒にしたり、一年生からはお米を研ぐなど何らかの役割を与えることをしてきたそうです。
お料理も子どもと一緒にすることで、たいていのことは出来るようになったといいます。
長男さんが大学生の時には、風邪で寝込むルームメイトの為に、食事やお弁当も作っていたそうで、ルームメイトのお母様が純子さんにお礼の電話をかけてこられたそうです。


子ども達とともに過ごす中で、子どものおかげで様々なことをやり直せたといいます。
水泳もその一つで、泳げなかった純子さんが子どもをプールに連れていくうちに泳げるようになったことや、子どもが月の満ち欠けの学習で一緒に月を観察して、改めて月の満ち欠けについて理解できたことなど、子ども達が与えてくれた機会のおかげでやり直しが出来たのよと教えてくださいました。


住んでいる音更町の開町100年記念行事として行われた演劇に親子で出演したこともとても思い出深いエピソードでした。自分が考えたセリフを言うという内容で、大人はありきたりなセリフしか思いつかないところ、子ども達は豊かな発想でセリフを話し、子どもの素晴らしさを感じたと話してくださいました。


長男さんが中学三年生の時に、町が町民を海外派遣する事業がその年で終了するのを知り、応募してみたいとご主人に伝えたところ、たいていのことは反対しないご主人が食事の支度はどうする?長男は受験生なんだからと反対されたそうです。
長男さんにそれを伝えると、「ご飯支度ぐらいするよ、お母さんが受験するの?」とご主人を説得する後押しをしてくれたのだとか。
海外派遣から帰宅してみると、家族3人で笑いながらとても楽しくやっていたそうで、お母さんが居なくていいんだねと少し寂しく言うと、「お母さん、そろそろ仕事に行けばいいんじゃない?」と返されたそうです。

そんな時にばったりと保健師の友人に会い、乳幼児健診を手伝ってと誘われ、仕事への足慣らしを始めるうちに、帯広市の母子保健相談員の募集案内を見つけ応募、数人の中から純子さんが選ばれ、保健師として健診や親子教室、母親のカウンセリング等、母を支援する仕事に携わります。


もともと、保健師の仕事が大好きで、天職と思って、お母さんや子ども達のために力を注がれてきたそうですが、ある時、顔がひどくくすんで病気と思われるほどだったそうで、それがきっかけで自分を振り返ったといいます。

「シャンパンタワーの法則というものがあり、一番上の自分を満たして溢れると家族、職場のスタッフ、お母さんや子ども達に注がれて行くと知り、一番大事な自分に注いでいなかったと気づいたんです。」

「一所懸命仕事と家事を両立していて、こんなに頑張っている私を認めて欲しいという思いがあり、くすぶっていた気持ちがくすみになっていったと思います。」

お手入れしていくと、もう年だから変わらないと思っていたお肌が綺麗になってきて、まだまだ変れると自分の可能性を信じられるようになっていきました。気が付くと満たされていて、細かいことが気にならなくなり、夫婦や親子を含め周りとの関係が変わっていきました。それは見える部分から始まって見えない部分も変わっていくことだったといいます。

保健師の仕事に携わった22歳、子育てに専念すると決めて仕事から離れた33歳、そして再就職した44歳、その後の生き方を見つめて退職した55歳と、11年置きに変化をしてきた中で、次の66歳にはどんな変化があるのかとても楽しみですと話してくださいました。

純子さんは振り返りながら、あの時、切迫流産を経験したから、命の尊さ、子どもを育てることの有難さを分かったと話します。
「決して、大人が上で子どもが下ではなく、子どもは魂で感じて本質を見抜いています。子どもの時「どうして大人は子どもが何でも分かっていないと思っているんだろう、大人になったらこれを伝えなくちゃ」と思っていました。」


子どもの話す言葉、子どもの見ているものを大人の私たちが一緒になって聞いて、見ること、そこに何が聞こえているのか、何を見ているのかを理解しようとすることの大切さを教わりました。
時間に追われて、余裕がなくてついつい子ども達の感性に気付いてあげられないかもしれませんが、何よりも子どもと一緒に楽しむこと、生活を楽しむことが子ども達の感性を活かす秘訣なのだと教わった気がします。

「好きなことを楽しんでいく力をつける」
興味を持ったことを思いっきり出来るように、子どもを見守って、子どもと一緒に楽しんで、大人の私たちが教わることの方がずっと多いはずと純子さんが話してくださったことは子育て真っ最中の自分を含め、子育て中のお母さんやお父さんにとって、子育てを楽しむ大きな秘訣だと感じました。


純子さん、貴重なお話を聴かせてくださり、本当にありがとうございました。

#1全国友の会  1930年、羽仁もと子の思想に賛同した女性たちによって生まれた団体です。家計を中心に、衣食住の基本、子育ての事、家事を効率よく回すコツなどの学びの会を開いている。 

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金澤純子さんプロフィール
北海道浦幌町出身 保健師、助産師、養護教諭の資格をもち、長らく保健師としてお母さんや子どもの支援をする。33歳長男、29歳長女二人のお子さんのお母さん。
現在はカウンセリングと美容業を楽しんでいる。


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