100人いたら100通りの子育て取材 №.9 鹿嶋 広美さん
季節は進み、カレンダーは残り1枚になりましたね。取材をさせて頂いたのは秋の始め。急に気温が下がり秋が突然訪れたような北海道の秋でした。今回、子育て取材を受けて下さったのは鹿嶋広美さんです。
この取材は帯広おかあさんのがっこう魅力プロジェクトとして100人のお母さんに取材させて頂く企画です。おかあさんのがっこうの詳細な活動については以下をご覧ください。
鹿嶋さんには以前、お料理を教わったことがあり、一つの食材から数品のお料理を作るアイディアを教えて頂きました。食を大切にされており、お孫さんにも手作りで出来るお菓子などを楽しんで作られていることを伺ったこともあり、様々な知恵や工夫をお持ちの魅力溢れる広美さんに子育てのこと、食のことを色々とお聴きしたいと思いました。
広美さんは北海道立公園である十勝エコロジーパークにお勤めされています。今のお仕事に携わるようになってすでに24年と伺いました。大学では環境と食物について学び、農作物、乳製品の食品加工をされていたそうです。
もともと自然のことに興味があって今の職に繋がっているのですか?と伺いました。
高校生の時、チェルノブイリ原発事故があり、高校の学校内放送でチェルノブイリ原発事故が起こったこと、このことが君たちの未来にどういう影響をもたらすのかを懸念しているという先生のアナウンスが流れたそうです。そのアナウンスをしたのは高校の理科の教師である広美さんのお父さんだったそうです。
その後、レイチェル・カーソンの本を読んだり、日本の原子力発電について調べるなど、環境について学ぶようになり、自然環境について学べる学校へと進学されたそうです。
卒業後は自然環境のある分野に進みたかったそうですが、別の分野で仕事を経験され、その後、十勝に道立公園が出来る準備段階から現在のお仕事に携わることになったそうです。
現在は27歳になる娘さんがいらっしゃる広美さんですが、どんな子育てでしたか?と伺いました。
23歳で娘さんを授かり、当時の産科の医師からは貧血があり子どもを産むことは今回は見送った方がいいのではないか?と言われたそうです。広美さんの絶対に産みたいという想いでお腹の子を守り育てたそうです。妊娠したことを当時お付き合いされていた彼に伝えると、「責任は取りたい」との言葉だったそうです。一度は子どもの為に籍は入れたものの、生涯を共に過ごすことが出来る相手とは思えず、妊娠中に離婚を決意、娘さんを無事に出産され親子二人三脚での生活がスタートしたそうです。
シングルで働いて子どもを育てることに必要な様々な情報を得たり、手続きをするために妊娠中から市役所によく足を運んだことを話してくださいました。
金銭的な援助を受けず、働いて一人で子どもを育てていくにはどうしたら出来るかを考えていたといいます。
そのためには風邪を引かない丈夫な子に育てようと、健康に着目し、薄着にして過ごすことを子どもの頃のお祖母ちゃんの話を思い出して冬でもシャツとパンツで寝かせていたといいます。
親子二人での生活を始めた時、よく土日にオープンしている市場に買い物に行き、日曜の夕方に魚やお肉など安く買うことが出来、お店の人にどうやったらおいしく食べられるかを聞いて、家に帰ってから食材を下ごしらえして保存しやりくりしたことを話してくださいました。
「魚の骨もエビの殻や頭も、すべて無駄のないように最後は砕いてふりかけにするようにして、食べきっちゃうの。どうやったら美味しく全てを食べられるか考えるの」と、本当に食材を無駄にしないで食べきる事を子どもがまだ小さい時から考えて工夫されていたそうです。
学生時代に様々な食品を加工する勉強の知識も活きて、作れないものは無いという経験と知識があったからこそ、何でも手作りをしてこられたそうです。でも、大学時代の食品加工は知識というよりはほぼ遊びだったと笑って話して下さいました。
「全ては遊びから始まっているのよ」と、子ども時代は華道や茶道など習いに行くのではなく、周りの大人たちから教わった経験や体験が今に生きているといいます。
それは娘さんの今の子育てにも受け継がれているようです。出汁をとってお料理を作ったり、手作りのお菓子を作ったりと娘さんも手作りされているそうです。
お孫さんのおやつにお芋を揚げて、その隣に手作りのポテトチップスと市販のポテトチップスを並べるのだそうです。お孫さんはお芋を揚げたのを好んで食べて、市販のポテトチップスはしょっぱすぎるから食べないのだそうです。
小さいころから、本物の味を味わっていることで、味覚が育っているといいます。甘いものは手作りあんこなどの自然の甘さを覚えたことで、チョコレートなどの甘味は胸やけして食べれないというほど、味覚を小さいころから育てるのは大切なのだと教わりました。
広美さんが子育てを始めたころは周りのご友人たちはまだ独身が多く、よく広美さんの家に日替わりで遊びに来ては子どもをあやしてくれたりしたそうです。「まるでおままごとみたいだったの」と笑って話してくださいました。
特に食の面では、実家が農家のお友達が野菜を沢山持ってきてくれたり、乾麺などの食材を持ってきては置いていってくれ、そのまま広美さんのお家に泊まって仕事に出かけるような生活だったそうです。「今でいうシェアハウスのような感じだったの」と言います。
娘さんを一人で育てているというよりはみんなで育てているような感覚だったようです。広美さんは「本当に人との繋がりに恵まれていたと思う」と話されます。
そんな二人三脚の子育てを広美さんの周りの温かな人間関係が包んでいたことが伺えました。
子育て中の思春期、反抗期の頃はどんな様子でしたか?と伺いました。
思春期といえば忘れられないことがあるとお話しくださいました。それは娘さんが初潮を迎えた出来事で、少女から大人になる瞬間の経験でした。娘さんが6年生の時、朝学校に行きたくないと泣きじゃくったそうです。そんな姿を見た広美さんのお父さんが学校まで娘さんと登校してくれた後、広美さんの職場に電話をかけてきたのだそうです。お父さんがおっしゃるには「今晩はお赤飯を炊くことになると思うよ。おめでとうとちゃんと言ってね」と言ったそうで、夕方帰ってきた娘さんの顔が朝の時と違い少女から急に大人びた顔になっていたといいます。
お父さんが何かの文献で得た知識で、生理を迎える子が、子どもから大人になりたくないという最後のあがきで赤ちゃんのように泣きじゃくるのだそうです。広美さんの思春期の時も同じ経験をされていたそうで、お孫さんの心と体の変化に気付かれていたのだそうです。
娘さんが中学2年生の頃、広美さんのお父さんが病気で闘病し、亡くなる三日前に「色んな心配はあるが、あなたの人生の伴侶が気がかりだ」と話され、今のご主人と一緒になることを望んでいたのだそうです。
たまたま仕事で参加した野外活動を養成をする会に同じ大学出身の後輩にあたるご主人が参加されていたのがきっかけで知り合い、大学の先輩と後輩の関係で長く交友があったそうで、広美さんのお父さんとも大学の大先輩としてお付き合いが続いていたそうです。
お父さんが亡くなり、ご主人がお葬式に参列していたのを目にした娘さんが四十九日を過ぎてからお礼を言いに会いに行こうと言ったのがご縁結びだったとお話ししてくださいました。
そんなご縁が繋がり今のご主人と再婚されました。
広美さんは夫婦関係を好きという感情を通り越した関係性と表現されました。信頼しあって、お互い大切な相手と思い、喧嘩は一度だけしかないと言います。
その一度だけあった喧嘩は娘さんの教育方針についてだったといいます。娘さんが東京の大学に進みたいと話した時、色々と調べてからにした方がよいとご主人は反対され、広美さんは娘さんが選ぶ道に失敗も成功もどちらも経験すれば糧になるからとに娘さんの意向をくんだそうです。大学進学の費用はすべて広美さんが賄いたい事、娘さんが大学を卒業するまでは金銭的な援助は受けず、自分の手で育て上げると離婚した時に決めた事を貫いたのだそうです。
でも、親心とは裏腹に娘にとっては、仲よく遊んでくれていたお兄さんがお母さんに取られたと思ったのか、再婚後、娘さんの反抗期が始まったといいます。それはしばらく何年も続いたといいます。
その時期は押さえつけることなく、受け入れて流して、心の奥では娘さんの取る行動も理解しながら、母として様々な感情を味わったことを話してくださいました。
今では娘さんも無事に一人前になり、今はお母さんとして立派に子育てをされています。
広美さんは「子育てなんてそんなのしたことが無かったのよ」と言います。勉強をしなさいとも言わなかったし、なるべく怒らないようにしていたと言います。でも、大切にしていたのは人間力、生活力と話されました。
家事全般が出来るように、家に帰ったらほぼすべてのことは娘さんにもやらせていたといいます。そして、朝の「おはよう」の挨拶から、「いただきます」「ごちそうさま」という挨拶を誰にでも、どこでも出来る子に育てたと言います。
子育てという子育てはしなかったけど、人として大切なことを教えてきたと話してくださいました。
そんな広美さんの三歳のお孫さんは、出かけた先で「こんにちは」としっかり挨拶ができるのだそうです。親から子へ、子から孫へ、人として大切なことはしっかりと受け継がれているようです。
子育てで何を大切にするか、それぞれの家庭によっても、親子によっても違いはありますが、どんな人に育てるのか、育てたいのか、そう考えると親として、どんな自分でありたいかを考えさせられた気がします。挨拶する子に育てたいなら、どんな人にも挨拶する自分であること、自然を大切にする子に育てたいなら、自然を大切にする自分であること。
遊んでいるかのように楽しんで様々なことにトライする広美さんの眼差しの奥には人として大切なことの基本が刻まれ、楽しい自由な大人とはこういう人のことだとつくづく感じました。
広美さんの人生、子育ての貴重なお話を聴かせていただき、本当にありがとうございました。
*写真は樽見真樹子さん撮影
鹿嶋広美さんプロフィール
北海道沙流郡門別町出身、自然環境に興味を抱き酪農学園大学へ進学、
北海道立公園十勝エコロジーパーク勤務、ご主人と広美さんの母の3人暮らし、三歳のお孫さんに手作りのあんこの味を覚えさせるスーパーおばあちゃん