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葛尾村←→渋谷 アーティスト達がむすぶものは/「ひかりをむすんで -COSMIC HABITAT-」Katsurao Collective

Katsurao Collectiveは、2021年に発足(5年間の「アーティスト移住・定住促進事業」として葛尾村から受託)。福島県葛尾村を拠点とし、現代アートによる社会活動の実践を行なっている集団である。アーティストインレジデンス、教育プログラム、展示企画、地域活動等を行い、中心で動くアーティストやスタッフには群馬県中之条町で行われている国際芸術祭・中之条ビエンナーレに関わる方も多い。

その繋がりから、2期に渡りKatsurao AIR(葛尾村にアーティストが滞在し制作やワークショップ等を行うプログラム)参加アーティストのインタビュー映像の編集を担当させていただいた(編集のみで、僕は葛尾村には訪れた事がない)。この年末、渋谷ヒカリエでその活動を紹介する展示「ひかりをむすんで -COSMIC HABITAT-」が行われていると知り、福島県よりは気軽に行ける距離なので足を運んだ。

Katsurao Collective youtubeチャンネル

(上記チャンネルのアーティストインタビューを見てから「ひかりをむすんで -COSMIC HABITAT-」を見るとより理解が深まるが、本日(2024/12/30)で終了)

この投稿では、編集の際に気になったアーティストの言葉(上記チャンネルに収録されています ※今回の渋谷の展示には参加しなかった過去のAIR参加アーティストの言葉も含む)と共に、この活動に対する個人的な感想を書いてみたい。

ヒカリエ8階「ひかりをむすんで -COSMIC HABITAT-」

福島県葛尾村に暮らしてきた人々は、2011年の東日本大震災の原子力災害を受け全村避難となった。2016年になってやっと一部区域を除いて避難指示が解除され、今年8月の統計で人口は1,237人(比較対象にはならないかもだが、中之条町の隣の、葛尾村より一回り小さい高山村は人口3,125人)。被災から13年が経ち、村に戻るぞ(村に住むぞ)、という確かな意志を持った人達だけが住んでいる、という印象が僕にはある。

震災直後、反射神経の良い写真家やドキュメンタリスト、アーティストは福島に赴き表現活動を行った。今、福島から表現活動をするということは旬(と書くのが馬鹿げている事は承知している)を過ぎているのかもしれないが、13年も経った今だからこそ、13年しか経っていない今だからこそ表現できるものは、Katsurao Collectiveの活動を見て確かにあるように思う。

《ピクニックするためのあれこれ/プランドローイング》喜多村 徹雄 喜多村さんは実際に木と木を結ぶベンチを制作、憩いの場所を作り出した

『まず、一番最初に来て思ったことは、すごくきれいに整っていたことから、葛尾村がどういう村なんだろうっていうのが全然見えてこなかったんですよね。東京にいて、震災後から「フクシマ」っていう記号みたいに見えている部分じゃなくて、(葛尾村での滞在を通して)もっと自分の体で感じるものとして体験していけたと思っています』(赤坂有芽さん)以下もそうだが『』はKatsurao AIRのインタビュー映像からの引用

『生活していく上で福島という場所が目に見えない存在になっているというのはあると思っていて。東京で暮らしている人がどうしてあれだけのエネルギーを使って経済活動をしているか。こちらはその都市を支えるエネルギーを作っている場所だったっていうのも含めて、その関係性を(東京と葛尾村を)行き来することで分かるっていうのは大事なことだったように思います』(石川洋樹さん)

僕は一昨年、ただの観光で福島県を旅した。昭和村の農家民宿に泊まったり、福島市の通好みな餃子の店(「山女」)でお腹いっぱいになったり。楽しむ一方で、震災後に中之条町の隣町に避難して親しくなったHさん一家を訪ねがてら(Hさんは群馬での避難生活を経て、震災前に暮らしていた場所からそう遠くない楢葉町で暮らしている)福島第一原子力発電所近くの海岸通りを横断した。未だ人が住まない地域の寒々しさは異質だったが、そのすぐそばでは人々の生活も垣間見れた(海岸沿いの地域物産店で買って食べた何気ない海苔弁当は今も思い出せるくらい美味だった・・食べてばっか)。

《かつらおのサンカク》村上 郁

Katsurao AIRで葛尾村に滞在したアーティストたちは、村の生活を深堀する。村上郁さんは、村で「サンカク」と呼ばれていた折り紙に注目。仮設住宅で日常生活を取り戻すために職員が普及活動の一環として広めていた折り紙。仮設暮らしではなくなり、個人的に一部の人が折るに留まっていた「サンカク」を、村上さんは丁寧にリサーチし、記録として残し(避難中に折られていたという記録は残っていなかった)、村民の力も借りながら大きな球体(直径は村民の平均身長)の作品にした。

葛尾村に続く伝統芸能をAR(拡張現実)で表現した鮫島弓起雄さん、村内11か所の集会所を回り人が集うことの意を問う三本木歓さん、米栽培に適しているとはいえない状況下で今米を作る人々のドキュメンタリーを制作した増田拓史さん、各家々にひとつはある置物をお借りして木彫で同型のものを作成し(最終的には)その家に渡すという杉浦藍さん、表現方法は違えど、滞在しその地と向き合った確かな痕跡が作品から垣間見れる。

《伝統を保存するためのアクリルスタンド「野行の宝財踊り」》鮫島 弓起雄 自分のスマホでQRを読み取ると、アプリを通してアクリルスタンド上で衣装をまとった鮫島さん本人が踊りだす

先に引用した赤坂さん、石川さん同様に、これも今回の展示には参加していないアーティストだが、Katsurao AIRのインタビュー映像の編集をしていて一番印象的だった話を、やや長くなるが引用したい。

『浪江の港の漁師さんと話しているときに、風には感情があるっていう話をしてて。昔の出来事とか、この土地のかつての事が忘れられて風化するよねって言うんですけど。なんかその風化っていうところに風が付いてるというのを漁師さんがすごく興味深く話してくれて。

記憶っていうのは人間は忘れちゃうけど、全部風がさらっていって風化するんだよ。で、その風が海の方に吹いていって、海の上に人の記憶が集まっているんじゃないか。で、漁に行くと、沖で漁をしていると、いつもと全然違うことを思い出して、いつもと全然違う感情が突然出てくることがあって、すごく昔のことを思い出したりとか、子どもの頃を思い出したりするんだって言ってて。

何かそれも、人々とか土地の記憶を風が連れ去ってしまってそれが海の上でぐるぐるしてて、そこに漁師さんが触れると一気に感情がよみがえってくるんじゃないかっていうようなことを言ってて』(阿部浩之さん)

阿部さんは風をテーマに制作を進め、放射能は風が運んだという話(これは誰しも聞いたことのある話だと思う)を聞いた一方で、漁師からこの印象的な話を聞いたのだという。漁師はアートに関連した話をしているわけではないのだが、とてもとても豊かな表現だと思う。

《Untitled》大槻 唯我

「ひかりをむすんで -COSMIC HABITAT-」展の大槻唯我さんの写真作品の自己解説に、震災の記録誌に「葛尾村の土になりたい」と証言していた人がいたこと、葛尾村では平成に入ってからも土葬が行われていたことが書かれていた。(以下は大槻さんの文章の引用)「自分が生まれ、生を営み、そしてその土地にかえるという、生き物としての循環における人の暮らしを思うと同時に、除染で剥された表土は、この村の環境とは異なる土地の中間貯蔵施設に、その土が蓄えてきた物語や記憶をすべて無視して、ただ並べられていると思うと、堪らない気持ちになる。」

その一方で、同展一番奥の壁に絵や押し花、筆記を展示した榎本浩子さんは、インタビューでこんな話をしている。

『除染作業で一回土がなくなってしまった。そこに新しく全く栄養のない土が入ってきて、今後畑を、植物を育てたりっていうことがなかなか難しい状況になってしまって。そこの土地回復のために緑肥としてクリムゾンクローバーを植えているというのが分かって。この村を象徴する景色、景色も豊かになるし土地を回復していくっていうのが、自分の表現と繋がってきて、凄く印象深いというか』榎本浩子さん

土がなくては、人は生きていけない。土を探すことすら難しい渋谷の一等地で「ひかりをむすんで -COSMIC HABITAT-」を見た人の中には、そんな基本的な、本質的な事実について考えた人がいただろうか。Katsurao Collectiveは年を重ね、多くのアーティストが移住や滞在制作で関わっていく中で、大槻さんと榎本さんが表現は違えど葛尾村の土について考えを巡らせたように、表現の接点、重なり、あるいはむすびめが生まれるようになった。幾つかのむすびめが集まればそれは、1アーティストの表現を越えた束、深く多層的な強靭な表現となる。

接点と言えば、より現実的なものとしてKatsurao Collectiveの中心人物の一人であるアーティストの大山里奈さんは今年、村内にギャラリーカフェの いること cafe しずくをオープンさせた。本人の強い強い意志と、周囲の大きな助けがあってこそ成せたスタートなのだろうと思う(ここまで書いたので、来年こそは行かねばならないと思っている)。

現代アートの一つの最先端が、渋谷から約300キロ離れた葛尾村にはある。

《あかるいけしき》榎本 浩子 この記事のタイトル絵も同じ作品です

Katsurao Collective HP

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