季節のなかを留まり続けて/VIENTO ARTS GALLERY・星野博美 seasons 季節のなかで
画家・星野博美による絵画展が群馬県高崎市問屋町のビエント アーツ ギャラリーで開催されている。画家、とわざわざ書いたのはノンフィクションライターで同姓同名の星野博美さんがいるから。ビエントのギャラリーは現在、山重徹夫さんがディレクターをつとめ、彼が同じくディレクターをつとめる「中之条ビエンナーレ」に出展経験のある群馬県在住のアーティスト等を中心に定期的に個展を開催。過去には、寺村サチコさん、clemomo、佐藤令奈さん、山田沙奈恵さん、外丸治さん、嘉春佳さん、西島雄志さん、堀越達人さん、嶋津晴美さん、大竹夏紀さん、佐藤イチダイさん、古橋香さん、藤原京子さん、村上郁さん、浅野暢晴さん、大和由佳さん、東城信之介さん、糸井潤さん、鳥越義弘さん、西岳拡貴さん、人見将さん、山口貴子さん、半谷学さんが展示を行った。星野博美もまた、中之条ビエンナーレをきっかけに2009年から中之条町に移住。日頃農作業に従事しながら絵を描き続けているアーティストであり、近頃では中之条町在住で薬酒果実酒の普及を行なっている渡邊修さん著「果実酒歳時記」(上毛新聞者発行)のイラスト全般を手がけた。「seasons 季節のなかで」では、そこで描かれた二十四節気にちなんだ自然味溢れるイラストを中心に、過去彼女が中之条町で描き続けてきた作品が「山里の季節をまるごとどっさり高崎の街中に持ってきたように」展開されている。
10年以上に渡り、農業に従事しながら絵を描くとはどういうことだろうか。土まみれになった指をすすぎ、手ぬぐいで拭って、絵の具まみれになった筆をとる。関わる時間から言えば、農家(農家手伝いか)と言っても良い。星野は中之条ビエンナーレの第一回において、中之条町で暮らす農家、あちこちに生える桑の木などのかたちを新聞紙で切り取り、それらが天井から吊った糸でモビールのようにゆれる作品を制作した。また、今回高崎で展示されている干し芋を作るためにおばちゃんたちが作業する様子をその内側から制作した作品(つまり、仕事として一緒に皮をむきながら)も、新聞で作られている。それは、山里で暮らしながら外の目をもって手探りで(おばちゃんたちとの距離感も探りつつ)形を探し、その時間(その時の時事性が書かれている新聞を使って)を作品として定着させるという行為だったのかもしれない。
僕が以前読んだ何かでこんなくだりがあった。主人公がベテランの米農家を褒めたところ、その農夫は「米は1年に一回しか作れない。このまま現役で20年やれたとしても数えられるほどしか作れないんだ。いつでも新人さ」みたいなやりとりだ。もちろんその一回の田植えには畔や水の管理や植えたり刈ったりなど無数の仕事が含まれているのだが、非常に謙虚で、でも力強いやりとりだったと記憶している。
星野の近年の作品では、先述した「果実酒歳時記」のような本や中之条町関連の広告等で求められるイラスト描きとしての仕事があるから、という理由もあるのだろうが、新聞は用いず、モノクロが多かった画面には、空の青、葉の緑、土の茶など四季折々の素直な色が重ねられ、切り絵として定着させる作品が多くなった。畑からにょきっと生えるウドは、実は白から緑へ、淡く美しいグラデーションがあり、そのあたりの色にも細心の注意をはらっている。それら素直な絵画は、特異性がなくたったとも言えるのかもしれないが、かたちの切り抜きから入った作品制作が、時間と関係性を経て、徐々に色を帯びて細部に命が宿っていくような、農家が何年何十年もかけて作物を続けるような「粘り強さ、力強さ」を獲得した絵画とも言えるのではないか。
今回の個展は「seasons 季節のなかで」と名付けられており、僕は勝手にフィッシュマンズの名曲「season」を思い出したのだが、関連性は全くない。だが強引に筆を進めると、「season」ではその歌詞の一部に「季節の中を走りぬけて、もうすぐ秋だね」という箇所がある。星野博美もまた、山里との出会いの春を越え、慌ただしさの夏を越え、年齢的にも(失礼!)秋に差し掛かった時期である。個人的には、今回展示されているフィンランドで近年制作された「見た景色の様々なものを削ぎをとした抽象的な作品」の先が見てみたい気もするのだが、どのようなものを作っていくかは、多分本人にもわかっていない。だが、これからも彼女は、いつどこにいても、季節のなかを留まり続けて制作を続けていくのだろう。
星野博美 instagram
https://www.instagram.com/hoshinocollage/
果実酒歳時記
VIENTO ARTS GALLERY
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