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歪んだ箱庭療法?

閉じられた世界で自身の世界観を否定するものは容赦なく排除。
支持してくれる人だけに包まれて、今日も自分の存在を確かめる。

自分の世界観を保つのに、いい意味で使えばその通りなんだが、無茶苦茶なものにも同じメカニズムが働く。困ったもんだが、どうしようもない。
筋道が通っていないことを指摘しても彼ら彼女らの歪な平穏が、そして感情が乱されるだけ。いくら証拠を積み上げようとも全く気にならないし、無視されるだけで全く意味もない。

ごく僅かに片足を突っ込んだ状態で、まだ両足まで突っ込んでない人はぎりぎり戻ってこられるが、時期を誤ればもう数%未満の可能性しか期待できない。カルトの洗脳はそれくらいに非常に難しい。

手順からしてまず論理は通用しない。その人の内面にある感情をまず全て受容するしかない。これはネットの文言などでは遥かに不十分なことが多く、常にそばにいてあげられる人、会話ができる人がついていないと難しい。下手をすると「バックファイア効果」で反発心からよりいっそうカルト洗脳が強まってしまい、もっと解くのが難しくなる(悪循環に要注意)。

「哀れだなあ」といわなければ「哀れな自分が保てない」のである。
それがまさに哀れなのだが、気をつけなければいけないのは、哀れだなあと言うことで感情を刺激するとますます洗脳が強まるだけなので、そこはぐっとこらえなければならない。繰り返しになるが、そこまでして洗脳が解けるのをそばでじっと忍耐強くついてあげられるのは、やはりよほど近しい人だけだろう(もう誰もそこまで付き合わない)。

様々なアプローチがあるが、バックファイア効果を起こすだけの重症な段階に入ってしまっている人には、的を得た指摘ほど逆に有害になってしまう(論理は通用しない)。同じような指摘をつづけつつも、それが全く無効な場合には何をすべきなのか、今年は後者のアプローチを考えていかなければならないだろう(前者だけではいかに不十分でそして無力なのか、昨年だけでよ〜く分かった)。

昨年から一部受容しつつ徐々に問題点を指摘するコンテンツを試みたが、失敗した。目的を明確に述べていたにもかかわらず、「ただの商売目的」とまたネジ曲がった解釈になってしまった(商売目的も完全にゼロとはいえない。このnoteシステム自体が収益を生まないと成り立たない)。結果、今は表ではもう何をやっているのかわからない謎な記事タイトルになっている。

ということで両輪をバランスよく用いることが大事と再認識した。
どこまで今後学んでいけるかわからないがやれるところまでやってみよう。

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