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僕にとってギターとは何か
今回のnoteは 夢を語る に関してです。完全にゆるゆるです(*^^)v
もくじ
1. それは津波から始まった
2. 苦手意識からの挑戦
3. 歌って奏でる理学療法士になる
1. それは津波から始まった
忘れもしない東日本大震災。僕は病院勤務で、その時間リハビリ室には多くの患者さんがいた。何が起こったのかよく分からないけど、とにかくもの凄く揺れた。患者さんの安全確保を最優先にしながら、ふとガラス越しの外を見ると、駐車場の車がまるでおもちゃの車のように地面から浮かび、左右に跳ねるような光景が僕の目に移った。
これはただ事ではないと思った。あとのことはよく覚えていない。とにかく患者さんを安心させること、安全確保に夢中だった。・・・。
それから数日が経ち、なにげなくテレビを観ると、ゆずが新曲を披露していた。その曲は「Hey和」という曲。解説をよく聞くと、この曲は東日本大震災の復興支援の思いで作成されたとの事。
思わずジーンときた。そしてギターも持ったことがない、楽器音痴の僕ではあったが、この曲を自分も弾く!と思ってしまった。
何故だろう。毎日毎日なにか落ち着かない、得体のしれない恐怖に包まれ、寝ても寝た気がしない。今まで聞いたことないスマホのアラーム。
毎日が不安だらけだった。なにかに集中できることを見つけたかったのかもしれない。
当たり前だが、ゆずのようにカッコよく弾き語りが出来るはずもなく、でも自分の仕事と絡めて、もっと人を感情的にもリラックスさせてあげられるようなお手伝いは出来ないものか?
それが現地ではないにしても、自分の活動エリアで復興支援の一助になれたら、何もしないよりまだましなのかも! そんな思いもあったのかもしれない。
日常的にも少し穏やかになってきた2011年の夏。ネットでギター初心者セット、価格1万円で購入した。
これが僕とギターとの出会いであった。
2. 苦手意識からの挑戦
誰に習うわけでもない。ひたすら独学。本を買い、読み、動画を観ては練習し、指先の豆が痛くとも、毎日毎日練習した。
ギターを挫折する人はよく「F」というコードにつまづくという。
僕の場合、それどころではない。それ以前の問題。まず6本もあるギターの弦をどうやって押さえるのか。押さえる指先の痛いこと痛いこと。
痛い指のままでは仕事に支障をきたす。
やってみては考え、考えては止めようと思い、思っては弾き、弾くというより弦を押さえジャランと鳴らすだけ。
楽しいことは何もない。辛かった。痛かった。
でも自分でも疑うくらい、この瞬間だけは全てを忘れて1~2時間という時間をあっという間に過ごすことができた。
恐ろしい集中力だった。
ホントに自分でも驚いた。だから精神的に本当に楽になれた。ありがたかった。
震災のことを忘れるために、日々のストレスを解消するために、そんな思いから始めたギターの自主トレ。
職場の仲間がやっているのを横目に見ては、「そんなの良くできるね?」なんて尊敬しながらも小馬鹿にしていた節もあり、自身の劣等感にもあきれたものだった。
自分は絶対できない。まずしない。あきらめというより、違う道。そんな風に思っていたが、なんという自分であろう。
苦手意識からの完全離脱。
今となっては生活の一部であり、患者さんへの心のリハビリにはなくてはならないアイテムとなった。
苦手とは一体何だろう・・・
出来ないことってあるんだろうか?
苦手意識と良く表現するくらい、意識が存在するってことは、出来る出来ないはつまり自分次第。絶対できないと決めていたギター演奏だが、今となっては生活の一部であるから本当に不思議である。
出来ないと思っていたことでも、いつかは生活の一部になる。
人生は本当に愉快だ。
3. 歌って奏でる理学療法士になる
人生100年時代。折り返し地点に差し掛かる自分は、正に自分の将来を考えることが多くなった。
自分は何であるか。永遠の疑問であり、それを探ることは人生のテーマと感じた。
ここ最近になって、はっきりと意識しなおしたことがある。
それはこの先何があっても、
自分はやはり理学療法士であるということ。これだけは変えられない。出世欲もあるが、理学療法士以外の道にはやはりどうしても進めないということだ。
これはずっと自問自答してきた。かれこれ5年くらい。たかが5年と言うなかれ。毎日毎朝毎夜考えた。仕事でも会議の席では必ず考えた。これからの自分。
大好きだった実家の婆ちゃんが、こんな言葉を最後に他界した。
義雄くんにリハビリやってもらいたかったな・・・
義雄くんとはこの私。婆ちゃんはあるとき、食べ物をのどに詰まらせ緊急搬送。その後一命は取り留めたものの、しばらくして一気に廃用がすすみ、リハビリのお世話になった。
背骨も曲がりが激しくなった。病室では酸素管理。でも笑顔だけは前のままだった。
病室にお見舞いに行ったとき、そんな言葉をもらった。てっきりボケているのかと思っていたら、僕の仕事も名前もはっきりと覚えていたらしい。
でも、僕にはどうする事も出来なかった。何かしてあげたかった。
痛いところを理学療法で緩和してあげたかった。勇気づけるため、病室でギターを使って弾き語りをしてあげたかった。婆ちゃんが大好きだった歌を。
全て何もできなかった。だからこそ僕は思う。
理学療法士の道以外は進めない。
5年近く毎日毎日うちの婆ちゃんと同じような年代の人達と語り合い、色々と自分なりに人生を学んできた。と言うより学ばせて頂いてきた。
80代、90代の人でも、「もっと良くなりたい」という思い。
そんな気持ちにどうやって寄り添うことができるのか・・・
真剣に考えたこの5年。
多くの人々、年齢を問わず、
心身共に「リハビリテーション」できる理学療法士になりたい。
自分自身体力がぐっと低下する年代。知識だって技術だって自然に低下する。
でも気持ちだけは保ち続けていたい。
いくつになっても理学療法士。
頼りにされる理学療法士。
心身共に介入できる理学療法士。
歌って奏でる理学療法士。
でありたい・・・
僕にとってギターは
婆ちゃんの遺言のお返し、
何もできなかったせめてもの償いなのかもしれない。
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