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やりたい事へ一歩踏み出す。が難しい時に読んでほしい記事。

こんばんは。
性格診断的なものをやると必ず内向的と指摘される元岡です。(自覚ある)

さて今回はやりたい事に向けて一歩踏み出す事が難しい時にはどうすれば踏み出せる?(踏み出せたの?)という記事を書きます。



一歩踏み出せない理由

まずはじめに、イマイチ一歩踏み出せない理由について考えたいと思うので僕の体験を振り返ります。

一歩踏み出せなかった過去
とにかく、やったことないからうまくいくかどうか不安でたまらなかった。
やりたい事が出来ていない現在の生活に慣れきってしまっていた。
日々の生活を維持するだけでイッパイイッパイになっていた。
どうせ失敗するなら、何もしないほうが得策だと考えていた。

ザッとこんな感じでした。
こんな感じの考え方で僕は10代20代を駆け抜けて来たわけなので、時には頑張って一歩踏み出せても次の一歩でつまづいてしまう事ばかりでしたね。

今振り返るととんでもなくもったいないなと感じるばかりです。

具体例

高校生活に馴染めなかった僕は、広島を離れ大阪の音楽専門学校に通います。
これは僕にとって大きな一歩でした。
が、この後が続きませんでした。オーディションに参加するわけでもなく、イベントに参加するわけでもなく、ただひたすらに授業に出て自分が触れたことの無いジャンルの音楽について勉強したり曲を作るばかりで、積極的なアクションを何一つ取らなかったんです。
ただただ曲を作る事にハマっていき、ギターがドンドン好きになっただけであり、業界関係者と繋がることも、音楽事務所と契約する事もなく卒業しました。
繋がれるチャンスなんてゴロゴロあったんですけどね。踏み出せなかった。


踏み出さなかった場合の未来を考えよう

やりたい事に一歩踏み出さず、現状を維持したままの今後5年10年の暮らしを考えてみましょう。

きっとそれはそれで多少の不満はあれど生きるには困らない形だと思います。

残るのは「あの時もっとこうしていたら..」という後悔だけです。後悔の無い人生を!とよく聞きますが、生きてく上で後悔というのは付き物だと思っていますので、後悔したあとどう動くか?が大事なんだと思うわけです。
ずっと後悔しっぱなしなのか?
その後悔にケリをつけるのか?の2択だと。

僕は28歳の頃に、結婚前提のお付き合いしていた方と別れ、長く組んでいたバンドも辞め、仕事しかやる事無くなった時期がありましてその時にあって当たり前なものなんて無いと思いはじめ、今後の自分の人生についてよくよく考えました。

そして未来の自分を想像しました。

仕事しかやる事のない自分、趣味を無くしちゃった自分、パートナーを捨てた自分。もう30歳間近なのになにも出来ていない。じゃあこのまま年を取って働いて、定年迎えて余生を過ごすのか。まぁ、それも悪くないけど、きっとどこかのタイミングで仕事辞めちゃうんだろうな。だって音楽続けるために働いてたもん。結婚とかもしないだろうな。これって税金払うためだけに働いてないかな?
てことはこれ税金払ってる以外の部分は○んでるって事じゃん?確かに納税は国民の義務だけど生きる目的が納税ってあんま聞いた事ないな。でも現状そうだし...
じゃあ僕の人生は今日以降、余生なんだな。
ってマジで思いました。


一歩踏み出す必要性を感じ取る

やりたい事を思いきりやる勇気がなく、出来る範囲でやりつつ時々誰かのせいにして不満を垂れながら生きていたら大切な趣味もパートナーも無くなり、1番関心の無かった"仕事"だけが手元に残り、納税するしかやることなくなったわけです。

全く想像してなかった環境に戸惑いまくりです。ということで僕は今後の余生の過ごし方について毎日考えました。

やっぱり何度考えても納税しかやること無いってつまんねぇなって思って、いやでも今更何が出来るの?という思考が行ったり来たり...あっでもこれからの人生は余生なんだよな...じゃあもう...ダメ元でやってみちゃえば?だって余生なんでしょ?1回○んでるんでしょ?良いじゃん。なんでも良いからやりたい事やってみれば?誰に気を遣っていたの?その相手、もう居ないじゃん。思い切りやれるタイミングなんじゃないの?
それともやれない理由があんの?あるなら何よ?

失敗するのが怖いだけです

自問自答の末に出た言葉でした。この言葉は僕が一歩踏み出すには充分な言葉だったみたいです。
これまでは何かと言い訳できちゃう部分が僕の取り組み方には存在していて、思い切りやっちゃうと職場の人に笑われちゃうとか、失敗したら友人に笑われちゃうとか、パートナーとの時間も作らなきゃだから思いきれないだとか...あげればキリないくらい言い訳出来る要素があった。正確には言い訳を見つけ出すのに必死だった。

それはつまり失敗したのは俺だけのせいじゃないと思いたかったに他なりません。責任転嫁ですね。

こうなっちゃうのにはもう一段階踏み込んで考えるとよりハッキリします。

自分のせいで失敗した事を認めたくないから誰かのせいだ!と思い込みたくなる

失敗が怖いから、失敗していないと思いたい、でもそれ結構無理な話なのでだったらせめて自分だけのせいではないと思いたい。

この保身
一歩踏み出せない原因でした。


やるしかないという結論に至る

保身ばかりを考えていた。という事実が浮き彫りになってようやく、自分がこれまでいくつ失敗してきたかを把握しようって姿勢がみられはじめ、なんだよ、じゃあ結局やるしかないんじゃんって結論に至りました。

この結論に至り、僕は1人でパソコンに向かって音楽製作を始め完成した曲をネットで公開したり、その曲にMV付けるためという口実でカメラを始めたり、写真が楽しくなりすぎて音楽そっちのけでポートレートにハマったり、調子に乗ってカメラを仕事にしたり、反省して介護士にもどったり、写真展したり写真集作って販売したり初めてクラウドファンディングに挑戦したり、もう一回音楽活動やってみよかな?と、なかなか充実した余生を送らせて頂いております。(今年で36歳)

あの時、自問自答していなければ僕は今でも後悔をし続け、誰かのせいにして、汗水垂らして働いて納税する生活を送っていたと思います。

僕の場合は失敗するのが怖いだけなんだという一つの言葉に出会った事でゆっくりと小さな小さな一歩を踏み出し、また一歩、時には半歩、とマイペースに余生に楽しみを見いだせました。

今日のこの記事を読んでくれた人の中でもし当時の僕とおんなじ様に一歩踏み出せなくてモヤモヤしてる人がいるなら僕から言えるのはただ一つです。


あなたの中に既に答えがあるはずだから
隈なく探してみてほしい


失敗するのがなぜ怖いのか?
原体験があるはずなんです。
このへんの話はまた別の機会で!

最後まで読んで頂きありがとうございました!


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