おじさん小論文01 「基礎について」
注意も興味も散漫な自分が、こうして一つの活動を継続できている理由に「基礎とそのトレーニングについての興味」がある。
気の向くままに色んなことを始め、色んなことを中途半端にやめて、それを繰り返しているうちに、おじさんになってしまった。
その結果、何も残らなかった。仮に何かができたとしても、たとえば生計の足しになるほどのものは、一つもなかった。
かといって絶望したり無気力になってみても、結局すぐまた何か新しいことを始めてしまう。それがものにならないと分かっていてもである。
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そこで、その仕組み自体に興味を持つことにした。つまり「色んなことに手を出して何も身につかない自分」を興味の対象にした。
生き方に正解というものがあれば、それはきっと「興味を絞り一つに集中すること」なのだろう。しかし、天の邪鬼な私がそれをすると、単に活動時間が減った。一つのことしかしないのであれば、それを10分やって、あとはずっと寝ている生活になってしまった。
なので散漫なまま、気が散ったまま何かが「十分に」できるようになるにはどうしたらいいのか。という問題について考えて、今は基礎能力と呼ばれるものを伸ばすとどうなるかを試している。
まず生活の基礎がある。決まった時間に起きて寝る。食事と運動を欠かさない。読書習慣をつける。誰でも重要だと言うことを、真に受けてやってみる。
それから、散漫な興味のそれぞれについて、分野ごとの基礎をやる。楽器にしろイラストにしろ、普段は蔑ろにしがちな基礎練習というものをやる。
そして小学生活動である。人前で話すこと、キレイに字を書くこと、暗算ができること、自分の考えを文章にしたためること。
これらは「基礎とトレーニング」という興味で全体を包括することで、いずれかの分野で生活を維持できる水準に届かないか?という試みであると言える。
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もちろん、この興味も他のものと同様、中途半端なところで途切れてしまうのだろう。
しかし、副産物としての各分野の基礎能力向上によって、今までとは違う段階の問題に取り組むことができるのではないか、と自分に都合よく考えていられるうちは、これを続けようと思っている。