見出し画像

神津島 神社旅(五)

三嶋神の源流 

 神津島の要所に鎮座する阿波咩命神社や物忌奈命神社、そして日向神社は三嶋神の統括下にあり、伊豆諸島における三嶋神の中心が三宅島にあったことは繰り返し述べてきた。それでは、三嶋神の源流はどこにあるのか。三嶋神の神々は、いったいどこからやってきたのだろうか。

宮本常一『日本の海洋民』(未来社、一九七四年)によれば、玄界灘に対面する宗像神社(北九州)は東の瀬戸内海に進出して厳島神社、大三島宗方神社(愛媛)に派生した。大三島宗方神社は大山祗神社または三島明神とよばれ、この神は海人たち奉ぜらて三宅島に奉祀され、その後、伊豆半島の白浜に移り、十一世紀ころには三島(静岡県三島市)に遷せられた、とある。

なぜ、瀬戸内海の大三島から、はるばる三宅島までやってきたのか。いくつかの可能性を検証してゆくと、瀬戸内海から太平洋に出た漁船あるいは貨物運搬船が黒潮に流され、漂流して三宅島に到達した大三島の漁師や水主(かこ)らが故郷の神社を建て、それを三嶋神の統率者が勢力の拡張に利用した、と考えるのが妥当であるように思われる。あくまでも、個人的な想像にすぎない。

南海から太平洋を日本列島に沿って北流する黒潮は黒瀬川ともよばれ、その力強い流れはちょうど八丈島と三宅島の中間点を西から東に突っ切って房総沖に進む。このため、伊豆諸島南部(青ヶ島、八丈小島、八丈島など)と北部(御蔵島、三宅島、大島など)は航海術が発達していなかった時代においては急流に阻まれて人の往来が難しく、地域を限定して微視的に見れば生態系、文化の混成が少なく、それは現代に至っても植生の異相や風俗習慣のちがいとして引き継がれている。八丈島が罪の重い流人の遠島先として選ばれたのも、この黒潮の属性による。しかし、巨視的に見れば、おなじ黒潮は歴史的に南方の人や物産、文化を伊豆諸島にもたらす役割も果たしてきた。青ヶ島や八丈島の特産である焼酎がじつは種子島や鹿児島の薩摩芋を原料にしていることや、島々に先端の知識や教養、あるいは航海技術をもたらしたのが流人や漁師、水主たちであったことがその証左であろう。

X-E1+NOKTON 40mm 1.1.4

いいなと思ったら応援しよう!