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老残日誌(八) 錦江倶楽部
錦江倶楽部
残暑。蒸し暑いので湯船にざんぶりと浸かり、犬猫のように身体をブルンブルンとふるわせて水を撥ね、平野純『上海バビロン』(河出書房新社、一九九〇年)をすこしだけつまみ読みする。平野は一九九〇年代初頭に『上海コレクション』(ちくま文庫、一九九一年)という本をつくり、そのなかで、村松梢風や吉行エイスケ、芥川龍之介、田中貢太郎、伊東憲、横光利一、松井翠声、内山完造、火野葦平、直木三十五、鹿地亘、開高健、村松友視、伴野朗、有吉佐和子ら、長く、あるいは短く上海と濃密にかかわった作家たちの作品の華麗な部分を抜き出し、わたしたちに「これが上海だ」と示してくれた。
きょう読んだ『上海バビロン』は一九八七年から一九八九年に現地で取材して書いているので、戦前作家から引用した部分の叙述は秀逸だが、現代部分はわたしの記憶のスクリーンに焼き付いている上海と比べてすこし新しく、社会の欲がギラつき始めてきた社会の風潮に少々胸が焼けるが、そこが面白いところでもある。わたしが上海にのめり込んだのは一九七八年前後で、悲しくなるような埃っぽい土色の街路に人民服のニンニク臭い民草が低く蠢いていたころのことだった。ラジオペキンの仕事で和平飯店に投宿し、同行したスペイン語組の美女、姚茜(彼女の姿態は細く苗條で、「腰細」と渾名されていた)に夢中になったのは、恥じらい多き青春の想い出である。
まだ、そこにはガーデン・ホテルなどなかったころで、旧フランス倶楽部改め錦江倶楽部という高級幹部の社交場が廃墟のように朽ち、老醜を晒していた。旁晚、倶楽部に姚茜を誘って当時は珍しかった一本のレーンしかなかったボーリング場で遊ぶ。ずいぶん遅い時間になって、迷路のような建物の一角にあった小さなスタンド・バーのドアを押し開け、まだ、やっているか、とたずねたところ、粋な制服に身を包んだバーテンダーは、あなた方がいるかぎり、朝まででも開いていますよ、と応じた。
当時、これが、中国で唯一、資本主義を経験したことのある上海の真実だ、と思った。好みもあると思うが、『上海コレクション』に載っている作品のなかでいちばん惹かれたのは吉行エイスケの『新しき上海のプライヴェート』である。エイスケが愛した戦前の上海には、錦江倶楽部の深夜バーで出会ったような精神の洒脱なバーテンダーが、きっと、各所にたくさんいたのだろう。
Leica M 3+M-ROKKOR 28mm 1:2.8 + 海鴎(二眼レフ)75mm3.5