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大島について(三)
島の神社
竹芝桟橋を晩の十時定刻に出帆したさるびあ丸は横浜大桟橋に寄港し、そのあとは深夜の東京湾を静かに南下して伊豆大島に向かう。二〇二二年は、特二等の四人部屋で迎えた。横浜大桟橋を離岸してしばらくすると、まもなく新しい歳を迎えるという船内アナウンスがあった。後部甲板で東京湾の夜を背景に記念写真でも撮ろうかと考えたが、外は数日来の寒波でずいぶん冷え込んでいるのでそのままベッドにもぐりこみ、古代の駅伝について書いた名編、山口修『情報の東西交渉史』(新潮選書、一九九三年)に沈溺する。著者は一九二四年生まれで、東京大学文学部の東洋史学科を出ており、文章がじつに上手い。この時代に学問を積んだ研究者の書くものは、それらの多くが内容に思考の余裕と幅があり、過不足のない描写が秀逸である。
さるびあ丸は東京湾を出るとやがて強風が起こした波浪に動揺しながら進むが航行の安全に影響はない、という事前の案内があった。しかし、ちっとも揺れないので拍子抜けした。船はそれなりに揺れるのがよい。船室をゴロンゴロンと転がるほどの大きな動揺はちょっと辛いが、適度の揺れは船旅の面白みを増幅させてくれる。子供のころ、大島と式根島のあいだを往来するときに乗ったすみれ丸(百六十トン、一九三五年建造)は、母港の波浮港を出ると外洋の風浪に弄ばれて激しく上下した。まさに、小さな船室内をゴロンゴロンと転がったのである。いま乗っているさるびあ丸は六千九十九トンの大型貨客船で、船尾には横揺れ防止装置のスタビライザーも装備しているので、少々の波浪ではビクともしない。船好きとしては、木の葉のように心もとなく、風浪に弄ばれるすみれ丸のほうを好む。
翌朝六時前、さるびあ丸は大島岡田港の岸壁に横付けした。外は、まだ、真っ暗である。早々に荷役作業を終えると、次の寄港地の利島を経て、新島、式根島、神津島へ延航し、そこからおなじ航路を遡って、同日の午後、ふたたび大島にもどってくる。下船して波浮港方面行きの路線バスに乗車し、途中の野増村大宮神社前停留所で降りる。時刻はすでに六時をだいぶんまわっていたが、山の端にかすかな曙光が射しているいるだけで、あたりは、まだ、うす暗い。大宮神社の、おそらく数百メートルはありそうな登り階段の参道にとりつく。外気はしんしんと冷え、数日前に降った雪がそのまま参道脇の雑草を覆っていた。
古代から伊豆諸島を勢力範囲とした三嶋神の縁起をいまに伝える『三宅記』によれば、大島の主要社は波布比咩命神社(波浮西岸)、大宮神社(野増)、波知加麻神社(泉津)、そして大宮神社の境外社の地位にある三原神社(三原山噴火口直下)の四社である。三嶋神の后神だった波布比咩命が波布比咩命神社の祭神であり、その第一子神、すなわち太郎王子オオイ所が阿治古神社(後の大宮神社)、第二子神の二郎王子スクナイ所が波治加麻神社の祭神となっている。いまふうの言葉で表現すれば、家族で離島経営を独占したことになる。まあ、伝説の世界、それも神代のことなので、正月からそう目くじらを立てるのもどうかと思うが、伝説は人が捏造し、その内容は当時の人心を反映したものなので、古人の意識のなかにはすでにむかしから経営を家族で牛耳ろうとする独占意識が芽生えていたことがみてとれよう。権力欲の千秋にわたるを知る。
后神波布比咩命の「波布」は羽部、羽布、羽武、波浮、波富などとも表記され、いずれも「ハフ」と発音する。この場合、「ハフ」は大きな毒蛇の意味で、波布比咩命神社の対岸から太平洋に突き出る岬は龍王崎と称され、付近には燈明様(龍宮社)がある。元町の吉谷神社の境内社には浜宮龍王社が、岡田港至近の山あいには龍王神社がある。いずれも波布比咩命の毒蛇伝説と関係があると思われるが、よく調べてみないと詳しいことはわからない。
そんなことを考えながら、大宮神社の参道になる長い階段を登ってゆく。立ち止まると、思わず足踏みしたくなるほどの寒さに身体が震える。大島一周道路に面した一の鳥居、そして二の鳥居、三の鳥居と進み、社殿前にもうひとつ最後の鳥居がある。周辺はスダ椎の巨木が天を突き、神木がことのほか太く、四囲を圧倒している。
大島については、すでに「棟方志功の板極道」について、そして里見弴が書いた「大島ゆき」というエッセーを題材にした「島のアンコ」の二編を執筆済みである。敗戦直後の数カ月間、GHQによって大島が一時的に日本から切り離され、それを危惧した島民が島の独立を目指して「大島憲法」の草案をつくったという歴史的な事実がある。ぜひ、このこともまとめてみたい。しかしその前に三嶋神と大島との関係に着目し、その主要社であった波布比咩神社、大宮神社、波知加麻神社、さらに大宮神社の境外社であった三原神社の四社について少しずつ考えてゆきたい。