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老残日誌(三十六) 清平市場


清平市場

かつての清平市場は、きわめて原始的な空間だった。SARSや武漢肺炎など邪悪な病原菌を媒介する野生動物や、蛇、猫などが活きたまま食材として売られていた。人間の背丈ほどもある犬をまるごとローストした姿焼きなどが幾体も店先にぶら下がっていたりして、度肝を抜かれた。その光景は、欧米人が設計した隣接する沙面街の静謐と並べて見ると、そこに中国人の心性をさぐる手がかりの一片があるように思える。

清平の「清」は、「粛清」とか「清澈」などの言葉のように、「ことごとく」とか、あるいは「きれいに」というニュアンスを持つ。そこから転じて、「太平」(泰平)とか「平定」などの意味が派生してきたようだ。中国語では「清平世界」(世界を平定する)、「海内清平」(国内外が平らかになる)などと使われることが多い。たとえば掃除は汚いものを一掃する行為なので、「きれいにする」と「ことごとく」は中国人の観念では些かの矛盾もなく相通ずるのだ。日本人にも、この感覚はあるような気がする。

この「清平」観念は、中国人の詩詞世界にも導入され、古代、すでに「詞牌」として確立している。「詞牌」とはちょっと日本語に訳しにくいが、曲調とか韻律みたいなものだろう。その代表として「清平楽」、あるいは「沁園春」、「蝶恋花」などがあり、毛沢東の詠んだ作品のなかにも、こうした「詞牌」の規律に従った詩詞を見つけだすことができよう。

中国は、都市も田舎もそこに受け継がれる無数の地名に含蓄があっておもしろい。先日、「要」であり「急」でもある浮世の柵(しがらみ)で、久しぶりに品川から山の手線に乗車した。次の駅が、なんと「高輪ゲートウェイ」だという。なぜ、「大木戸」とでも命名し、時代の悪しき洪流に柵を植えて抗することができなかったのか。

Leica M 2+Super Wide-Heliar 15mm 1:4.5 Aspherical

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