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老残日誌(九) 樹葉は落ちて根に帰る(落葉帰根)

樹葉は落ちて根に帰る(落葉帰根)

もう十年ほど前のことだ。当時、蒋経国を研究テーマにした博士論文を書いていたわたしは、その故郷である寧波郊外の渓口鎮と上海を駆け足でめぐる旅をした。日程に余裕がなかったので、まず、成田から浦東国際空港まで飛び、その足で中国の国内線に乗り換えて寧波にむかう計画をたてた。
浦東空港に安着し、すぐその日のうちに寧波までの便があることを確かめると、空港内の銀行で両替をした。それは、浦東の発展に歩みを合わせるように成長した新興の浦東発展銀行の両替窓口だった。そこで、当座の旅行資金として数万円を人民元に兌換し、何十枚かの百元札を受け取った。

数日後、蒋介石ファミリーの故郷である渓口鎮の取材を済ませ、上海のちょっとお洒落な四川料理店の客となっていた。この街に棲む旧友との邂逅を楽しんでいたのだ。激辛好きのわたくしに四川料理の濃密な刺激は心地よく、朋友と再会した嬉しさも手伝って心がはずんだ。その愉快な雰囲気を一瞬にしてぶち壊すできごとが、そのあとすぐにやってきたのである。

支払いのとき、若く、美しい服務員が差し出した勘定書きをすばやくチェックすると、彼女に四~五枚の百元札を手渡した。券面には、毛主席の凛々しい容姿が光沢を放っていた。しばらくすると、会計にむかった服務員が小走りにもどってきて、申し訳なさそうな口調で「このお札は受け取ることができません」という。旧友の一人が突き返された札を電燈に透かしたり、さすったりしながら、「表面がつるつるだわ。これはカラーコピーの偽札だよ」と断定した。

偽百元札

百人民元の偽札

市井に流通している貨幣は額面百元が最高なので、どこかでお釣りにもらった可能性はすぐに排除できた。脳裏には浦東国際空港の両替風景が電光のごとくによみがえり、「ああ、また、やられた!」という悔しさとも、あきらめともつかない感情がわきあがってきた。

この国の生活における偽物との闘いは、いわば紙の表裏のようなものである。十六年間におよんだ中国滞在は、ある意味では偽物と背中合わせの生活だったといっても過言ではない。思い出すままに記してみると、偽物家電ブランドとしてのTOSNIBA、PARASONIC、HONGDA、SORYなど、挙げていったらキリがない。いずれも、日本企業の商標を連想させる悪質な犯罪行為である。もちろん、日本以外の外国や中国の偽物も横行しているが、日本製をまねたものが圧倒的に多い。この国の政治領域では反日が猖獗をきわめ、わたしたちの国を口汚く糾弾しているのに、日本ブランドは、やはり魅力的なのだろう。ちょっと、誇らしい気もする。

そういえば、こんなこともあった。深圳の駅前にたち並ぶちょっとあやしげな家電販売店で、安価なDVDプレーヤーを物色していたときのことだ。気に入った商品を購入しようとしたわたしは、それにメーカー名が付いていないことに気づいた。さっそく店員に問いただすと「うちでは顧客の求めに応じて商標をつけるのですよ。お客さんはどのブランドを希望しますか」と応えた。面白くなり、日本の双璧ともいえるふたつの有名ブランドを告げると、その店員は引き出しからすばやく指定された商標の小さなアルミ銘板を取り出し、製品の両サイドに貼り付けてくれたのである。

もうひとつ、やはり羅湖駅で実際に経験したことである。駅構内の国内鉄路待合室で福建省の石獅あたりで密造されたマルボロの偽タバコをふかしていたら、警備員風の男が近寄ってきて、無言で遠くの窓を指さした。なんと、そこには手書きで禁煙を告知する張り紙が貼ってあるではないか。警備員風はやはり無言で、ポケットから取り出したカードを示した。それには、違反者は百元の罰金、と印刷してある。

細工した料金メーターを無言で指さす悪徳タクシー運転手とおなじで、警備員風も、終始一貫、無言でせまってくる。言葉にだすと、発覚したとき罪にとわれるからだ。すばやく思案したわたくしは、財布のなかに、やはり以前に山海関のホテルで押金(デポジット)の返金の際につかまされた偽百元札が挟んであったことを思い出し、丁寧な口調で「申し訳ありません、罰金を払います」といって、偽札を警備員風の手に握らせた。男は「謝謝!」と、はじめて声を出して相好をくずした。
中国には、「落葉帰根」という美しい言葉がある。わたしは落ち葉が根に帰るのと同じように、中国で生れた偽札は、やはり中国人の手に返すのがいちばんよいと思ったのだ。

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