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老残日誌(二十七)

湖南の銘茶

一昨年、武漢肺炎が世界に惨禍をもたらして以来、すっかり生活のリズムを失った不健康な生活を送っている。だいたい晩の 十九 時ころにどろどろと入睡し、深夜に起きて、やがて朝を迎え、白昼に仮眠をとるというパターンが多い。

きょう、まだ明けきらない黎明、湖南出身の友人からいただいた古丈毛尖をいれて気をシャキッとさせる。張家界武陵山中の古丈県が主要な産地らしい。二〇一二年だったか、日本政府が尖閣諸島を国有化した際、長沙から中共が発動した抗議の火の手が上がり、日系企業に対するヒステリックな破壊活動が全国に及んだ。その前後、武陵山中の霧のなか、あるいは長沙の旧岳麓書院にいて、熱くなり始めた民衆の敵意にさらされた。おそらくそこで、このお茶を飲んでいたはずである。

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若いころから好きだった茶葉に碧螺春や白毫銀針、そして君山銀針などがある。有名な碧螺春は江蘇蘇州、白毫銀針は福建福鼎、君山銀針はその名が示すように湖南岳陽の洞庭湖に浮かぶ君山などで丁寧に育まれた。

君山を中国全土に、大袈裟にいえば世界に知らしめたのは、この君山銀針だろう。『巴陵県誌』によれば、ここで銀針が本格的に栽培されるようになったのは清の乾隆 四六(一七八一)年からであるらしい。その銘茶は 百九十年後、この党=国家が中華民国から国連議席を奪った一九七一年、中国政府が国連本部で開いた祝賀レセプションで各国代表にふるまわれた。

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岳陽楼(洞庭湖畔)

晩唐の詩人劉禹錫は、君山の高みから洞庭湖を俯瞰した七言絶句『望洞庭』を残している。

湖光秋月両相和 潭面無風鏡未磨
遥望洞庭山水翠 白銀盆裏一青螺

劉禹錫の讃える白銀の盆とは洞庭湖の鏡のように美しい湖面で、一片の青螺(青貝)が君山を指しているのは言うまでもない。

湖南省は湿潤で良水に恵まれているので、良い茶葉を多く産する。そして良茶のあるところには、すぐれた詩が生まれる。劉禹錫もきっとこの地の銘茶を楽しんでいたのだろう。

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