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神津島 神社旅(七)

神津島の花正月  

物忌奈命神社の静かな境内をあとにして、前浜から天上山につらなる山麓の斜面に展開する集落を歩く。南北にのびる幾筋かの道は狭く、長く、それらを束ねるようにして東西の短い生活道路が集落を隅々まで繋いでゆく。家々は西面し、冬の西風がもろに当たる海に向かって建っている。その立地は片の島の僚島である式根島や新島、利島、大島に背を向けていて、前浜集落に身をおく限り伊豆半島の先端と無人島の恩地嶼がみえるだけで、半島に遮られて至近に浮かぶ三宅島の島影すら望むことはできない。厳しい自然環境がそうさせたのか、あるいは三嶋神の本拠が置かれた伊豆白浜の神々を遥拝できるところにいつも在りたい、という島民の気持ちによるものなのだろうか。おそらく、その両方に理由を求めることができるのだろう。

集落の細い生活道を斜面に沿って登ってゆくと、小さな疱瘡神社があった。入り口に神津島村役場が設置した看板が立っているので、ゆっくり読んでみる。この島では旧正月の十四日、すなわち上元の前日を花正月と称して、子供らの無病息災を祈る行事が行われていたようだ。この日は家ごとに石臼で米を挽き、その粉で団子をつくって蒸しあげ、竹の小枝に刺し、花のついた椿の枝とともに神棚に供えた。

やがて、おもてから帰ってきた子供たちはお供えの団子と椿を持って疱瘡神社に詣り、椿の小枝は社殿に残し、団子は下げて喰い、付近に繁るとべらの葉枝を折って持ち帰る。家では年寄りたちが子供たちのとってきたとべらに呪文を唱えながら囲炉裏にくべる。そうすると、シッチリ、バッチリ(チリチリ、パチパチ)という音とともに紫煙を放って燃える。島民はこれを子供たちが天然痘に罹らないためのお呪いとした。このことから、神津島ではとべらのことを「シッチリ・バッチリの木」ともよぶそうだ。

花正月に無病息災を祈る習慣は、おなじ日、漁師たちが前浜で潮垢離し、そのあと、鬮祭りでそれぞれの一年の漁場を引き、一夜斎戒してすごす儀式とどこかで通底しているように思える。農暦をつくった中国では旧正月の上元(十五日)を元宵節と定め、街に燈篭を吊って観燈し、家々ではやはり米粉でつくった団子を蒸しあげて食する習慣がある。北京などでは下町の繁華街に燈篭の市がたち、その入り口を示す燈市口などの地名がいまも残っている。神津島の花正月と中国の上元の日に行われる元宵の行事には、あるいは民俗の共通性があるのかもしれない。詳しいことは、もう少し深く調べてみないとよくわからない。

X-E1+NOKTON 40mm 1.1.4

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