青春プレイバック(一)
房山十渡
とり戻すことの出来ない時間という意味で、青春は、すでに遠い幻影である。若さ、笑顔、むこう見ず、そして将来に対する根拠のない自信は、いまから思えば宝物といっても言いすぎではない。
中央廣播事業局国際台日語組(ラジオペキン)で対日プロパガンダ放送に従事していたころ、同僚の沈宝慶に誘われ、春遊の行楽バスに紛れこんで房山の十渡まで遊びに行った。そこは北京の西南方へ約三時間ほどの距離にある山水の美しい隠れた景勝地で、その風景が揚子江の三狭に似ているところから「小三狭」などとよばれていたのだ。
当時、外国人は立ち入ってはいけない地帯だったので、バスのなかではなるべく目立たないようにしていた。前日、沈宝慶から、中国人の服装をしてくるように、と言われ、西単商場で若者が普通に身に着けている開襟シャツとズボンを用意し、それを着て、髪の毛に石灰を振り、ボサボサにしていった。
二人で河原に座りこみ、清流に足をひたしていると、街なかでは味わうことのできない不思議な開放感のようなものを感じたのを記憶している。あの十渡の清流にもういちど足を浸け、たしかに北京に存在したはずのわたしの青春を、この老残した体躯でよろよろと探しにゆきたい衝動にかられる。本当に、北京で生活していたのか。単なる幻影ではなかったのか…。
あれから四十二年、うそだろ!と言いたくなるほど気の遠くなりそうなたくさんの春と秋が通りすぎていった。北京で、あるいは十渡で、当時の若い自分に出会うことができたら、ぜひ訊いてみたいことがある。お前は、当時、まちがいなくここにいたのかと…。
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